KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2022年6月号
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通して辿る「ヨコオ・ワールド・ツアー」は実に上手く考えた企画で、自分でも思いつかない発想にキュレーターの平林恵には思わず舌を巻いたのである。出不精で億劫な生活なのに、海外旅行の半分は一人旅であった。語学もできないのに、よく一人で旅をしたものだと、今では一人ではどこにも行けないのに、どうしてあんなに大胆になれたのか、どう考えても理解できない。一人旅は毎日が不安の連続である。にもかかわらず肉体を突き動かせたのは好奇心以外に考えられない。本展覧会のカタログに掲載されている旅先での写真や日記などを見ながら、そこに写っている自分の写真はまるで他人のように、不思議な距離感がある。僕はこの「ヨコオ・ワールド・ツアー」神戸で始まって 神戸で終る ㉘で既に不動の地位を確立していた横尾が画家に転身したのも旅がきっかけである。1980年、ニューヨーク近代美術館で見たピカソ展が横尾の人生を大きく変えたのだ。1970年代から横尾のグラフィック作品は国際的な評価を獲得して世界を巡るが、1980年代には絵画作品もまた国際展や個展を軸にして旅するようになる。そして、横尾自身も講演や審査、音楽や演劇のコラボレーション等、活動の幅を海外に拡げていく。「旅」をキーワードに、作品と貴重な初出資料から横尾の「ワールド・ツアー」であると同時に「ヨコオ・ワールド」醸成の過程を巡るツアーとなった〉生活と作品の変遷を旅を第16回展「ヨコオ・ワールド・ツアー」展の概要を学芸課長の山本淳夫は次のように解説する。〈見聞きしたものを独自に変換し、編集して自身の作品に取り込む横尾忠則にとって、外国への旅はイマジネーションの宝庫であった。1964年のヨーロッパ旅行以来、横尾は世界各国を訪れている。なかでも1967年のニューヨークは、横尾の作品と生き方に大きな影響を与えた。新しい時代の空気に魅了された横尾は、ヒッピー・カルチャーの洗礼を受け、クリシュナ寺院とロック三昧の4ヶ月を過ごす。そしてその経験が横尾をインドへ導き、1970年代のポップでスピリチュアルな作品を生み出すのである。また、グラフィックの世界Tadanori Yokoo美術家横尾 忠則撮影:山田 ミユキ14

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