KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2022年6月号
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周辺の区画整理が完了したことがその流れに拍車をかけ、富裕層たちが邸宅を構え、〝阪神間モダニズム〟とよばれる独自の華やかなライフスタイルの舞台のひとつとなる。並行して、多くの教育機関が学び舎をこの周辺に求めた。明治22年(1869)に原田の森で関西学院が創設。その西隣には官立神戸高等商業学校(神戸商高)が明治36年(1903)に全国で2校目の高商として設置され、その5年後に六甲台へ移転し戦後神戸大学となった。ほかにも松蔭高等女学校(現在の神戸松蔭女子学院大学・松蔭高等学校)などが神戸の中心地から移転し、六甲中学校(現在の六甲学院)や神戸一中(現在の神戸高校)なども開校して、現在の文教エリアの礎となっている。昭和以降は戦災、震災を乗り越えながら都市機能を充実させて発展、特にJR「六甲道」駅周辺は阪神・淡路大震災復興の再開発で大型店のオープンなど一大ショッピングゾーンへと進化した。一方の阪急「六甲」駅周辺も昨今、小粋なカフェや実力派のレストラン、気になるパティスリーが増え、注目度を増している。静かな環境と自然が守られた六甲エリアは暮らしやすいだけでなく、歴史が醸した文化の芳気が住む者の人生を豊かにしてくれることだろう。神戸大学キャンパス内神戸大学参考文献 有井基編『灘区の歴史』 田辺眞人監修『灘の歴史』 灘区まちづくり推進課『灘区歴史散歩』 ほか121

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