KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2022年6月号
119/124

陽光に満ちあふれ温暖、高燥で水も空気も清らか。今も変わらぬ普遍的な宝は、有史以前から存在したようだ。六甲川と杣谷川の合流地点の篠原遺跡は、縄文・弥生それぞれの痕跡が見つかり、いかに長い間ここが生活の場として愛されてきたかを物語る。中でもここから出土した遮光器土偶は東北地方のものと同じような形態で、その分布の最西端として学術的に重要だそうだ。また、篠原伯母野山町の伯母野山遺跡からは穀物を収穫する磨製石包丁や石鎌などが発掘されている。さらに、桜ヶ丘町の桜ヶ丘遺跡では銅鐸14個と銅戈7本という考古学史に残る大発見があり、これらの出土品は国宝に指定され、神戸市立博物館で常設展示されている。古墳時代もこの一帯は栄えていたようで、篠原南町には古墳時代後期に築かれた横穴式石室の鬼塚があり、ここから副葬品とみられる鉄器や勾玉が発見された。律令時代には莵原郡天城郷となり、摂関政治下には藤原家と縁がある都賀野荘の支配下となって都との結びつきも強かったようだ。平安末期に平清盛が福原に遷都するが、一説によると、阪急「六甲」駅南隣の六甲八幡神社はこの際に男山八幡を勧進し創建されたとされている。太古より選ばれし地阪急「六甲」駅の南隣に停む六甲八幡神社119

元のページ  ../index.html#119

このブックを見る