KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2022年6月号
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〝サンライズレッド〞に染まった日本2021年夏。昇る太陽をイメージしてデザインされた、鮮やかな〝サンライズレッド〞カラーのTシャツが街中で目に留まった。コロナ禍で一年延期された東京五輪・パラリンピックが昨年8月に開幕。各競技会場で行われた表彰式などで、日本代表選手が着用していた、このTシャツをはじめとする真っ赤なユニフォームは、神戸市に本拠を構えるアシックスが手掛けたものだ。アシックスの創業者は、鬼塚喜八郎(1918〜2007年)。1949年、アシックスの前身となる鬼塚株式会社を、わずか4人の社員で設立。後発のシューズメーカーとして、神戸を拠点に創業した。当初は、バスケットボール専門のシューズを開発する小さなメーカーとしての出発だった。喜八郎は、1918年、鳥取県の農家の7人兄弟姉妹の末っ子として生まれた。名前は坂口喜八郎。なぜ、いつ、彼は「鬼塚」の姓になったのか?生前、喜八郎が自身の生涯について綴った「念じ、祈り、貫く」(なにわ塾叢書)の中に、その経緯が詳細に明かされている。第二次世界大戦中、喜八郎が陸軍将校としてビルマに赴任していたとき。世話になっていた上官から、「自分が帰国するまで、養子縁組する予定だった日本にいる鬼塚夫妻の面倒を私の代わりに見てくれないだろうか」と喜八郎は頼まれる。上官より先に帰国した喜八郎は、戦後、上官との約束を果すために、神戸で暮らしていた鬼塚夫妻を探し出し、家を訪ねる。そして、「上官が帰ってくるまでの間、私があなた方の世話をします」と申し出たのだ。喜八郎は神戸の商社に就職し、働きながら面倒を見ていたが、しばらくして、上官の戦死の鬼塚喜八郎子供たちに夢と勇気を…シューズ作りに懸けた情熱神戸偉人伝外伝 〜知られざる偉業〜㉖前編114

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