KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2022年6月号
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第六席 有馬で極楽〜YOUは何しに温泉へ? 室町時代語り調子でザッと読み流す、湯の街有馬のヒストリー。有馬温泉史略有馬温泉史略第六席みなさん温泉がお好きかと存じますが、温泉へ何しに行きますか?お風呂でリフレッシュ?観光地としていろいろ見物するのも楽しいですよね。宴会や接待というのもあるかも。もちろん、持病の治療や緩和といった湯治もね。で、いま挙げた温泉のニーズ、実は中世の頃からあったようなんです。有馬温泉が鎌倉初期に再興したことは前回申し上げた通りでございますが、その後、有馬は施設が整い、交通路も整備され、より賑わうようになっていきます。まだまだ医療が未発達でしたので、有馬温泉が最後の希望という湯治客も多く、その甲斐なく有馬で最期を迎える方も少なくなかったようです。有馬温泉には現在も寺院が7つとほかの温泉地と比べて多いのですが、それは平癒祈願やお弔いが多かった頃の名残といわれています。また、﹃平家物語﹄にも登場する慈じしんぼうそんえ心房尊恵によれば、有馬は閻魔王宮の東の門だそうで。つまり、有馬温泉は生と死の境界と認識されていたみたいなんです。鎌倉前期、公卿の西園寺公きんつね経は有馬まで行かず、途中の吹田の別荘にとどまってここに有馬から温泉を運ばせて入浴したそうです。この「召し寄せ」は後嵯峨上皇や後深草天皇なども御所でおこなっていましたが、これは有馬の「湯」そのものに価値を見出した、つまり薬効を期待したということなのかもしれません。それにしてもタンクローリーなどないので、たくさんの人足が湯を満々と詰めた桶を運んだ訳ですが、入る人より運ぶ人の方が健康になりそうですよね。106

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