KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2022年5月号
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■今村欣史(いまむら・きんじ)一九四三年兵庫県生まれ。兵庫県現代詩協会会員。「半どんの会」会員。西宮芸術文化協会会員。著書に『触媒のうた』―宮崎修二朗翁の文学史秘話―(神戸新聞総合出版センター)、『コーヒーカップの耳』(編集工房ノア)、『完本 コーヒーカップの耳』(朝日新聞出版)ほか。■六車明峰(むぐるま・めいほう)一九五五年香川県生まれ。名筆研究会・編集人。「半どんの会」会計。こうべ芸文会員。神戸新聞明石文化教室講師。氏の散文集『合切嚢』(西村宏一著・1991年・すみなわ詩社)から「冬二追悼」の項。《田中冬二さんがなくなった。たった二度高山へ来られただけだったが、こよなく高山を愛された方で、ある時いただいたお便りには「高山は私の心のハイマートです」とあった。》そうだったんですね。飛騨高山を田中はよほど気に入っていたのだ。西村はこうも書いている。《「城崎温泉」では、飛騨の高山では「雪の中で山鳥を拾った」という言葉があるがと記してある。それらの事象や言葉は作品の外のここにはもうないのである。(略)田中さんは飛騨を題材にした詩を十編ほど残されている。残念ながら地元の詩人には、これほどの愛惜をもってふるさとの町を歌った詩は稀である。田中さんの詩の中の高山の風俗は、今はもう失われて存在しないものが多い。(略)市の郷土館には、この詩人の晩年の作が、自筆で書いて掲げられている。  幼いものが泣くと 私は言った  お父さんと 飛騨の高山へ行こうね  私はまた妻と争などして  何か憤しい時にも 幼いものに言った  お父さんと 飛騨の高山へ行こうね》切々たる詩だ。戻って「城崎温泉」である。飛騨の高山では「雪の中で山鳥を拾つたといふ言葉がある/私は雪の中で山鳥を買つた/可哀相に胸に散弾のあとのある山鳥を/さむい夜半だつた/私はそれを抱へて山陰線の下り列車を待つてゐた。やはりこの詩は痛々しいだけのものではなかった。※資料を提供してくださった「飛騨高山まちの博物館」の松永英也様に感謝申し上げます。(実寸タテ15㎝ × ヨコ4.5㎝)89

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