KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2022年5月号
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今村 欣史書 ・ 六車明峰連載エッセイ/喫茶店の書斎から   飛騨高山の山鳥3月号の本欄に田中冬二の詩「城崎温泉」を取り上げた。その中の一節に疑問があると。冒頭の、《飛騨の高山では「雪の中で山鳥を拾つた」といふ言葉がある》である。わたしはこれについて次のように書いた。《「雪の中で山鳥を拾つた」にどんな意味があるのか?わざわざカギかっこに入れてある。これには意味があるはず。飛騨高山でのみ通じるような故事来歴があるに違いない。それは何なのか?それがわからなければこの詩の真意は解らないのでは?》と。そして、文末に《「雪の中で山鳥を拾つた」だが、原典を知る人はないでしょうか。お教えください。》と添えた。このほど便りがありました。「飛騨高山まちの博物館」からである。送られた資料を読んで大いに感動した。その一つに『飛騨の鳥』(川口孫治郎著・大正十年・郷土研究社)からのコピー、「ヤマドリを拾ふ」があり、その一部。《高山町では大雪の上を歩く際、辷べつて轉んだ其機に、『ヤマドリを拾つた!』といつて起き上がる風があつたさうである。之は大道の眞中で辷り轉がることの、あまり體裁の良くない為に、所謂テレカクシといふものかも知れないが、それにしては、何とでも言ひ様のありそうなものなるに、特に此詞を用ひ來つた所由を熟考すると、昔は、ヤマドリが如何に多く町近くに出現したかを想ひ浮ばしめらるゝ。》大正10年発行のこの本に「あつたさうである」とある。このあと、この地にいかにヤマドリが多くいたかということが書かれていて、《之等の事實から推考すると、昔の高山町内では、雪中に轉がつて、本當にヤマドリを拾つたことがあつたかも知れない。》と。やはりあったのである。「ヤマドリを拾う」という言い方が昔から、というより昔にはあったのだ。また別の資料『飛騨のことば』(土田吉左衛門著・昭和34年)。「やまどりうつ」の項に、《すべつて転ぶこと。雪路などで顛倒すると「やまどり一羽うつた」などという。》とあり、先の話に通じるところがある。やはり、飛騨高山でだけ通じる言葉だったのだ。ところで、なぜ詩人田中冬二はこのことを知っていたのだろうか?それは、もう一つの資料を読んでみて納得がいった。高山市在住の詩人・郷土史家だった西村宏一88

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