KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2022年5月号
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な音楽の仕事がしたい」と、東京の音楽関係の会社に就職するも、約2年で会社は潰れ、飛び込んだのが映画の世界だった。「面接を受けて、初めて採用されたのが長谷川和彦監督のデビュー作の現場だったんです。いい意味でも悪い意味でも衝撃的な撮影現場で、この経験が今の監督としての人生につながっている。そう思います」映画のタイトルは「青春の殺人者」(1976年)。その年の「キネマ旬報」ベスト・テンで1位に選ばれるなど話題を集めたが、「毎日、撮影は大変で…。今、思い出しても、めちゃくちゃな現場でした。その現場で私は一番下っ端だったんですから」と苦笑した。その後も大森一樹、崔洋一、井筒和幸、藤田敏八、伊丹十三…と日本を代表する監督たちの助監督を務めながら、映画製作の技術を修得していった。「〝映画が完成したら、327

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