KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2022年5月号
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戦後、エリーゼはドイツへ強制送還されるが、1948年、かつて店で働いていた3人の日本人の弟子が、店の復興を目指して「ユーハイム商店」を設立する。「カールの魂を継承しよう…」と、エリーゼは1953年、神戸へ帰ってくる。1961年、社長に就任し、「ユーハイム」を立て直し、1971年に亡くなるまで神戸で暮らした。夫、カールと同様、彼女の人生もまた波乱に満ちていた。GHQにより、ドイツに強制送還されたエリーゼは、神戸に帰って来たとき。「私は死ぬまで日本にいる」。こう神戸で生き抜く覚悟を語ったという。横浜で一号店を構え、先月、創業100年を迎えた。今もユーハイム夫妻は芦屋市のお墓から〝ユーハイム伝統の味〞を見守っているに違いない。=終わり(次回は鬼塚喜八郎)(戸津井康之)日いまは廃虚と化した横浜を見捨て、神戸に回航した…》神戸からの再出発再起を懸ける彼は、当初、神戸市北野町のドイツ系ホテル「トアホテル」に勤務しようと考えていたが、三宮にあった洋館に喫茶店を開業する。店の名はドイツ語の「ユーハイム」。三宮で店を開くよう強く勧めたのは、世界的バレリーナのアンナ・パブロバだったという事実が、とても興味深い。神戸へ避難した彼は、三宮を歩いていて偶然、パブロバに出会う。「家と職を探している」という話を聞いたパブロバは彼にこう伝える。「カール・ユーハイム物語」の中にその会話の様子が記されている。《「そんなの心配ないわ。この家でお店開きなさいよ」彼女の指さしている家はビーフステーキで有名な弘養軒や橋本食堂の並びの東角、神戸っ子が「サンノミヤイチ」と略称で読んでいる三宮一丁目電停のすぐ前のレンガ建て三階の洋館だった…》ユーハイムは彼女の言葉に従い、このビルで店をオープンした。バウムクーヘンの他、日本で初めてマロングラッセも販売する。連日、店は神戸で暮らす外国人たちで賑わい、日本の政財界の関係者、文化人らも多数訪れたという。文豪、谷崎潤一郎も常連客の一人として知られ、名作「細雪」の中にも、この店が登場する。だが、戦争や震災など数々の試練が彼の心を砕いたのだろうか。1937年、彼は精神を患い、ドイツへ一時帰国。数年後、日本へ戻ってくるが、第二次世界大戦が始まり、店の経営が立ち行かなくなり、1945年6月、神戸・六甲の六甲山ホテルで家族とともに療養した後、8月に死去。死因は中風だった。113

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