困難を乗り越えて祖国・ドイツを離れ、ドイツの占領地だった中国・青島へ。そして第一次世界大戦下、捕虜として日本へ…。若い頃は、まるで渡り鳥のように移住地を転々としたカール・ユーハイム。そんな彼の流転の人生の中で、変わらなかったものがある。生涯、菓子職人としてバウムクーヘンを焼き続けことだ。彼が終の棲家として選んだ、その地は神戸だった。なぜ彼は神戸で暮らすことになったのか?その経緯もまた、彼のドラマチックな人生を物語る。第一次世界大戦後、捕虜から晴れて自由の身となったユーハイムは、日本にとどまる道を選ぶ。東京・銀座の喫茶店の3階で住み込みながら菓子職人として働いていた彼は、青島で結婚した妻、ドイツ人のエリーゼと長男、カールフランツを日本へ呼び寄せる。その後、横浜市で、エリーゼの名前をとった「E・ユーハイム」という名前の喫茶店を1922年3月に開店。一家3人で幸せに暮らしていたが、翌年9月1日、関東大震災が発生。彼の店は焼失してしまう。この火事の様子について、戦後、兵庫県尼崎市で暮らしていた作家、頴田島一二郎の著書「カール・ユーハイム物語」のなかで、こう描写されている。《この地震は、ちょうど昼食時であったため炊事の火からの火事が多く、そのため死人も多く出た。E・ユーハイムでもお客九人のほか計十一人が悲しい犠牲になっていた。カールが耳にした ││助けて! 助けて! という声も、その中の何人かだったに違いない…》またしても全財産を失ってしまったユーハイムは横浜を出る決意を固める。妻子を連れ、神戸市垂水区の知人を頼り、船で神戸へ向かうのだった。「カール・ユーハイム物語」ではこう続く。《被災者を船腹一杯満載した英国汽船ドンゴラ号は、九月六カール・ユーハイム一世紀を経ても変わらない…神戸に遺したドイツの味神戸偉人伝外伝 〜知られざる偉業〜㉕後編112
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