KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2022年5月号
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謎のベールに包まれた有馬の復興主、仁にんさい西 鎌倉時代語り調子でザッと読み流す、湯の街有馬のヒストリー。有馬温泉史略有馬温泉史略第五席時は承徳元年の秋、鈍色の雲厚く六甲の山々に蓋をなし、黒風白雨は幾日ぞ。風神咆ほうこう哮雷神爛々、雲龍は逆巻きて嵐を起こし、天の狂乱大地に響きて大樹の根を揺るがす。斜面は崩れ谷は埋まり家々は山津波に呑み込まれ、泉源土砂に溺れ湯は湧きもせず注ぎもせず。天皇貴族の覚えめでたき天下の名湯は土中に没し、有馬の栄華も沈んでしまった。それから九十五年の星霜を経た建久二年二月の半ば、和州吉野の僧、仁西の枕元に熊野権現がお出ましになり、「津の国有馬の山中に温湯ありしが洪水で荒れ果て今や知る人ぞなき有様、汝、彼の地に赴きてこれを復興せよ」とのご神託。仁西は蜘蛛の案あない内で川を渡り峠を跨ぎ、いよいよ有馬まであとわずか。すると蜘蛛に代わって老翁現れ山へ導き、「木の葉を投げそれが落つるところに再び湯が沸くであろう」と曰のたもうて忽然と消えた。仁西は一枚の葉を投げそれがひらり舞い落ちた場所を掘るとあら不思議、金色の湯が滾々と甦った。これより有馬の再興に粉骨砕身の仁西、吉野より平家の残党を呼び寄せ、薬師十二神将にちなみ十二の宿坊、有馬十二坊を開いたのでありました。めでたしめでたし。以上、有馬に伝わるお話でございます。承徳元年は1097年、建久二年は良い国つくろう鎌倉幕府の前年ですが、もうツッコミどころ満載。木の葉を投げた山は落葉山らしいけど、ここから7泉源のうち一番近い御所泉源までは直線距離で約500メートル。葉っぱがそんなに飛ぶかって話ですよね。紙飛行機最長不倒のギネス記録ですら69メートルですよ。史料を紐解きますと、1097年の水害104

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