KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2022年4月号
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のデコボコ刑事で現れる喜劇だった。今だと『バッドボーイズ』(95年)あたりがバディームービーの末裔か。でも、アランとカーンコンビの人間味溢れるこの刑事漫才には笑うばかりだ。アランがスペイン人の女房の浮気を疑って怒鳴り合うし、カーンが女友達に『アラビアのロレンス』のロレンスなんかふにゃふにゃ男だと言いまかすのも可笑しかった。何年か後に、山本晋也監督は現場で助手のボクに「イヅツ、映画ってよ、娯楽でも芸術でもなく、その中間にある芸能なんだな。平安時代の猿楽だ」と教えてくれた。撮る前に出会っていたらその哲学はもっと役立ったかもしれない。カーチェィスの最中でもおかしな会話が入り、緊張を破る間抜け顔があり、画面は自然光で溢れて気取りがなく、ボクにも映画を撮る気力が湧いてくるのだった。さらに、キャメラを廻す勇気をくれたのは『悪魔のいけにえ』(75年)という、30歳のトビー・フーパー監督がベトナム戦争に疲弊してドラッグと犯罪で病んだ呪われたアメリカを映してみせたゲテ物だ。下手とは上等でなく並のもの、雑で大衆的ということだが、これは『テキサスチェーンソー大虐殺』という原題通り、決して大衆的でも並でもない、変わったホラーだ。亡霊やお化けは出ない代わりに、皮の顔マスクをつけ、電気ノコギリをエンジン全開で振り上げた正体不明の大男に出くわす一級の恐怖サスペンスだ。5人の若い男女がワゴンカーでテキサスの田舎に通りがかり、朽ちた屋敷を訪ねた途端、その大男に襲われる。言ってしまえば単純な話だが、この気味悪さが愉しくて仕方なかった。映画館で悲鳴を上げながら笑ったのも初めてだ。そして、作者は世界中の浮かれる若者大衆に「社会を甘く見てふわふわしてるんじゃないぞ」と警告してるようだった。ピンク映画の作法には役立たないだろうが、初陣の現場に出る景気づけに『サブウェイ・パニック』(75年)も観てみた。ニューヨークの地下鉄を武装グループがハイジャックする痛快作と評判が高かったからだ。予感どおり、それは映画館にいることを忘れてしまうほどスリリングで、作法をメモするどころか、そんな暇はなかった。見惚れさせたのはひとえに撮影者の手腕だ。『フレンチコネクション』(72年)や『エクソシスト』(74年)を撮った名手オーウェン・ロイズマンの画面は、キャメラが俳優の正面や横にあると感じさせなかった。でも、的確なキャメラ位置とはそういうことなのかと知ると、得をした気分だった。そして、青二才のボクは仲間と無謀にも35ミリキャメラを廻し始めるのだった。今月の映画「フリービーとビーン大乱戦」(1974年)「悪魔のいけにえ」(1975年)「サブウェイ・パニック」(1975年)49

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