KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2022年4月号
27/132

ゴルフ文化が  身近な神戸─なぜ神戸に住もうと思ったのですか。宮本 アメリカを拠点に世界のコースを撮影してきましたが、人生終盤を迎えて何かやり残したことがないかと思った時に、日本のゴルフ場を撮ってないなってことが心に澱のように残っていて。神戸はすぐ近くに由緒あるゴルフ場がたくさんありますし、住みやすさや住環境のことも考えて。この家はたまたまネットで見つけて一目惚れです。─この家のどんなところが気に入っていますか。宮本 ここは写真が飾れる廊下があるんです。脇に川が流れる面白い土地で、このように南北に長い敷地で東西から横に光が入り、それが奥行き感をつくってくれます。ゴルフコースでもそういうレイアウトはきれいなんですよ。─神戸に住んだ感想は。宮本 山と海が近く、ほどよい都会。良いレストランも色々あって街の規模感が自分のライフスタイルに合い、気に入っています。─御影から見上げる六甲には神戸ゴルフ倶楽部があります。宮本 クラブハウスに入った瞬間、コミュニケーションの風通しの良さを感じました。関西はもともと地場の企業家がクラブをつくってきたので、それぞれのアトモスフィアがあります。お付き合いが綿密で代々続いていて、それが何となくの空気をつくり、ゴルフ文化になっていくのでしょう。コースを回って創設時の情熱を想像するのも楽しいし、飽きない。何度行っても挑戦意欲が涌くようなコースですね。─日本最初のゴルフコースで、歴史もありますよね。宮本 ここには日本人としては2人目の神戸ゴルフクラブのクラブチャンピオンである小寺敬一さんの邸宅があったそうです。日本人最初のクラブチャンピオン九鬼隆輝氏は、三田藩主のご子息で、廣野ゴルフ倶楽部の土地はもともと九鬼家の土地です。また近くには乾邸がありますが、乾豊彦氏は廣野の理事長や日本ゴルフ協会名誉会長でした。このあたりはゴルフにゆかりが深く、ゴルフが神戸に入ってきた時の方々の孫世代がいまもご健在で、いろいろなお話を聴けるんですよ。舞台もゴルフも   一緒かな?─ゴルフとの出会いは。宮本 東京で過ごした大学時代は、新聞社で写真部の手伝いをしながら、ミュージシャンを目指してキャバレーの生バンドでバイトし、楽しかったですけどすごい競争でプロを断念しました。27

元のページ  ../index.html#27

このブックを見る