KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2022年4月号
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上京したが、大学の入学式には出席せず、その日、向かったのは新宿の映画館。そこで見た映画が黒澤監督の「用心棒」だった。「一日中、映画館に入り浸り、計4回見た後、翌日も映画館へ行きました」と苦笑する。大学3年になると、撮影スタッフとして、東映の大泉撮影所に入り浸るようになる。「憧れの宮川撮影監督がいる大映に絶対、入りたい…」ところが卒業の年。大映の新卒採用試験が行われないことを知った。だが、あきらめきれず、大映本社へ行き、当時の永田雅一社長に直談判し、翌年、正式に大映に採用された。絵コンテで〝復元〟する創作魂 デジタルリマスター作業の監修に際し、宮島さんは映画のオープニングから、エンドロールまで、すべてのカットを絵コンテで描き起こしていく。びっしりと絵コンテが描き込まれた何冊かの大学ノートを見せてくれた。「監修する際、正確に指示するための、つまり、これはメモなんです」と説明されたが、ノートを開いて驚いた。コマごとにワンカットずつ。精密に描かれた絵コンテは数十ページに及び、1作につき2、3冊の分量。詳細に描き込まれた絵コンテは、ワンカットずつが、まるで一枚の絵画のようで、〝メモ〟と呼ぶにはあまりにも丁寧に描き込まれているのだ。「このまま1冊の漫画として発刊できそうですね?」と聞くと、「映画関係者がみんな欲しがるので、監修が終わったら進呈しているんですよ。スコセッシ監督も、『コピーさせてくれ』と言うので、数冊、プレゼントしてきました」と笑った。この絵コンテを仕上げるために、「一本の映画を数十回は見返します」と言う。「監督はこの作品をどんな思いで撮ったのか? 絵コンテで描き起こしていく中で、その思いに、ようやくたどり着くことができる。どんな色にしたかったのか。明るさは、など。さらに、この明るさで撮ろうとしていなかったはず…。そんなことも分かってくるのです」宮島さんにとって絵コンテを描く作業は、きっと、今はもうこの世にいない映画監督や撮影監督たちとの〝会話〟の作業なのだろう。師匠・宮川作品の監修ではこう気合いを入れる。「宮川さんの創作の思い、心を知る人で、今も生きているのは、おそらく自分だけ。宮川さんの思いを読み取り、後世へ残さなければ…」と。「半世紀以上も前に撮られたフィルムは劣化し、ぼろぼろになってきています。今が修復の最後のチャンスだと思う。現存している名作のデジタルリマスター化は急がねばなりません」今年は大映創設80年。これを記念し、数本のデジタルリマスター化とその上映24

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