KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2022年4月号
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べたように調査活動そのものを公開した。作品とその関連資料をひも解くとともに、制作のあらゆるプロセスを素材として作品として提出する「横尾忠則」の生き方に迫ったと言う。なんと恐ろしい計画を立てたものだ。展覧会期間中、細野晴臣、糸井重里と僕の鼎談が行われたが、この頃から僕は難聴が激しくなって、2人の話がほとんど理解できなかった。耳が聴こえないということは困ることが多いが、時には聴こえないことで便利がいいこともある。人間は口と耳の機能を最大限に利用して人間関係を構築していくわけだが、時にはわずらわしいこともある。それは難聴になって初めて、われわれは日頃、如何に多くの言葉の被害を受けていたかということを改めて認識させてくれたのである。そういう意味でも美術は言葉のないコミュニケーションツールである。僕は日頃から絵を通して没言葉の世界を創造していることに改めて気づかされている。美術に限らず、音楽やダンス「ヨコオ・マニアリスム vol.1」 会場で公開アーカイブの作業をする学芸員 2016年16

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