KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2022年4月号
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を製造する調理室などが整備されていた。収容所の中で、ドイツの職人たちは自由に働き、地元の日本人たちにその技を教えていた。そんな光景が目の前で展開されていたのだ……。当時、日本の他の捕虜収容所も同じで、ユーハイムやローマイヤー、フロインドリーブたちドイツの職人は収容所でその技術を磨き、解放された後も日本に残って、この食文化を伝えようとした。1918年、「第九」で知られるベートーヴェン作曲の「交響曲第九番 歓喜の歌」が、日本で初めて演奏された。この板東俘虜収容所で、ドイツ人捕虜たちの手によって…。捕虜生活の中で活路を見い出し、「日本にドイツの菓子を普及させよう」と覚悟を固めたユーハイム一家だったが、その行方には数々の試練が待ち受けていた。=つづく(戸津井康之)たのだが…。日本に残ったドイツ人ユーハイムがバウムクーヘンを日本へ伝えたように、日本残留の道を選んだドイツ人の捕虜が、その後、日本に残したドイツ伝統の食文化や芸術、スポーツなどは少なくない。日本でロースハムを発明し、普及させたアウグスト・ローマイヤー(1892〜1962年)、パン職人のハインリッヒ・フロインドリーブ(1884〜1955年)も、そんな一人だった。「シキシマ」の愛称で知られる敷島製パンの初代技師長として日本に残ったローマイヤーは、その後、神戸市内で「ジャーマンホームベーカリー フロインドリーブ」の前身となるパン屋をオープンしている。NHK連続テレビ小説「風見鶏」(1977〜1978年放送)のヒロインの夫は彼がモデルだ。また、第一次世界大戦中のドイツ人捕虜と日本軍人との交流を描いた映画「バルトの楽園」(2006年)も、ユーハイムのようなドイツ人捕虜の知られざる功績を伝える興味深い作品だ。収容所の松江豊寿所長を日本のベテラン俳優、松平健が、独軍少将をドイツの重鎮俳優、ブルーノ・ガンツが演じた実話で、製作当初から話題を集めた。舞台は徳島県鳴門市にあった板東俘虜収容所。史実に基づき、鳴門市内に、この収容所がセットで再現された。撮影現場を取材するため、筆者はこのセットを訪れたが、その臨場感に圧倒された。松江所長は、収容所のドイツ人捕虜を丁重に、人道的に接し、地元住民と接する機会を与え、日独の文化交流を深めることに貢献したことで知られていたが、忠実に再現されたセットを見て、その理由が納得できた。収容所の中にはパンを焼くベーカリーやハム、ソーセージなど127

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