KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2022年4月号
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鮮烈なデビュー近年、空前の〝スイーツ・ブーム〞が続いている。連日、次々と和洋のお菓子の新製品が発表され、ブームの勢いはおさまりそうにない。だが、このブームの影では、新製品が生まれる一方、消えていくお菓子も少なくない。片や、ブームに関係なく、一過性で終わらない不動の人気の洋菓子がある。世代を超えて愛されてきた「バウムクーヘン」はその代表格といえるだろうか。日本で初めて、このドイツのケーキを紹介したのはドイツ人、カール・ユーハイム(1886〜1945年)。神戸市の製菓会社「ユーハイム」の創業者である。3月4日は「バウムクーヘンの日」。こう呼ばれていることを、ご存知だろうか?今から一世紀以上も前。1919年3月4日、広島市の「広島県物産陳列館」(現在の原爆ドーム)で行われた「ドイツ作品展示会」の会場で、ユーハイムはバウムクーヘンを製造販売した。これまで食べたことのない洋菓子の食感に、多くの日本人の来場者が驚いたという……。これが、初めてバウムクーヘンが日本でお披露目された日といわれている。興味深いのは、このとき、ユーハイムの身分は「ドイツ人捕虜」。日本の捕虜収容所へ連行されていたのだ。第一次世界大戦時。ドイツの占領下にあった中国・青島で、彼は菓子職人として働いていたが、日本軍により青島が陥落。彼は捕虜として日本へ連行され、大阪俘虜収容所へ収監された。その後、広島へ移送されていたときに、ドイツの菓子を紹介するチャンスが訪れたのだ。当時、材料集めに苦労したというが、日本人好みの味付けで焼き上げ、完成させたバウムクーヘンは、即売会の会場で評判を呼び、瞬く間に売れていったという。1918年、第一次世界大戦は終結。日本にいたドイツ人捕虜は解放され、大半の捕虜がドイツへと帰国する中、カールは日本へ残ることを決めた。東京・銀座の喫茶店に菓子職人として就職。青島にいた妻と息子も日本へ呼び寄せ、3人でこの喫茶店の三階で暮らし始めカール・ユーハイムドイツの味を日本へ…どん底から立ち上がった菓子職人神戸偉人伝外伝 〜知られざる偉業〜㉔前編126

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