KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2022年4月号
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■今村欣史(いまむら・きんじ)一九四三年兵庫県生まれ。兵庫県現代詩協会会員。「半どんの会」会員。西宮芸術文化協会会員。著書に『触媒のうた』―宮崎修二朗翁の文学史秘話―(神戸新聞総合出版センター)、『コーヒーカップの耳』(編集工房ノア)、『完本 コーヒーカップの耳』(朝日新聞出版)ほか。■六車明峰(むぐるま・めいほう)一九五五年香川県生まれ。名筆研究会・編集人。「半どんの会」会計。こうべ芸文会員。神戸新聞明石文化教室講師。《お歌、拝見してをります。「花菖蒲」の格調の高さ、さすがと感じました。》教修氏は詩人でもあったが、短歌もなさっていて、その当時、『短歌』(角川書店)という全国誌(現在も発行されている)によく取り上げられたのだと。それを見ての言葉である。文学に親しむ者同士、その後も交流は続いたが、10歳ほど年長の史郎氏はすでにお亡くなりになっている。子どもさんもなかったとのことだ。ところで、行方不明の四夷史郎氏の詩集である。教修氏は、「難解な詩でしたよ。見つかったらお知らせします」と言ってくださっている。しかしわたしは、早く作品を読んでみたい。そこで、先の『古本こぼれ話』の著者、高橋輝次氏に「『航海表』50号の史郎氏の作品のコピーを」とお願いし送って頂いた。「二つの地獄」という論文は重厚感のあるもので、教養の深さが感じられるものだった。そして一篇だけ載っていたという「紀行」と題された詩がこれ。おれは多勢の男女を殺してきた/それからついでに牛や馬や/なにか名は知らぬが草花を五六本/殺してここにやつて来た/おれはもう殺すことにはあきて/かうして旅をしてゐるのだ/ところでここポリネシヤといふところは太陽がきつい/当然おれはのどが渇いた/だから一杯の清水をもとめて今もこの岩かげにくると/それは大きくもの憂げな眼でこのおれをみつめる/ひとりの婦人がゐたではないか/「わたしたちの種属はやがてほろびていくのです」//いまそのうしろ姿を眺めてゐる/立ち去るあとを追はうとする/おれも、またここでほろびることになるのだたしかに教修氏がおっしゃるように、一般的には難しい詩であろう。しかし、描かれている心象風景はスケールが大きく胸に迫る。(実寸タテ10㎝ × ヨコ15㎝)107

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