KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2022年3月号
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などありません。無我夢中で校舎の中庭のコンクリートの身体がやっと入れる小さい溝に飛び込んで、目と耳を手でふさぎました。背後から機銃掃射の弾が無数に迫ってくる、そんな幻覚の中で生きているのか死んでいるのかさえ判然としない、止まった時間の中で「無」になっていました。校舎のガラスをバリバリ振動させながら頭上をグラマンが飛び去って行き、やっと生を確認するという、こんな体験が唯一僕の戦争の恐怖体験でした。こんな光景を原点として、その後の僕の絵画には無意識裏に戦争が描かれているように思います。戦争というか、死の恐怖です。後にも先にも85年間、たった一度の死の体験です。この時の体験がなければ、僕の作品には死のイメージは烙印されなかったと思います。「わたしのポップと戦争」は、ポップと戦争の両方があっけらかんと描かれていると思います。絵はそれでいいのです。戦争は重く、ポップ「横尾忠則展 わたしのポップと戦争」戦争作品群 会場風景 2016年17

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