KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2022年3月号
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行基による再興〜伝説か?真実か? 奈良時代語り調子でザッと読み流す、湯の街有馬のヒストリー。有馬温泉史略有馬温泉史略第三席さて、飛鳥時代に舒明天皇、孝徳天皇が入湯した有馬温泉ですが、その後はと申しますと有馬温泉の歴史に関する文献ではだいたい、天皇の行幸が途絶えて荒れ果ててしまったところ、あの!スーパースターがやって来て、見事に再興、というお話になっております。そのスーパースターとは誰か?そう、行基でございます。ザッとご紹介すると、行基は668年に現在の堺市西区、当時の河内国(※)大鳥郡で渡来人の家系に生まれ、15歳で出家、24歳で受戒してその後飛鳥寺へ。前月号の平尾工務店の記事に載っていた元がん興ごう寺じの前身ですね。ここで修行したときに道昭に学んでいたといいます。道昭は舒明天皇が始めた遣唐使、しかも孝徳天皇が送り出した第2回で唐に渡り、西遊記の三蔵法師こと玄奘にかわいがられたとか。何の因果か、有馬フリークの天皇が微妙に関係しているんですね。行基は道昭の影響を受けてか、庶民の中に入り込み仏教を布教しつつ、困っている人のための救護所を建てたり、橋を架けたり、道を通したり、港や池を築いたり、農地を開拓したりと、当時の畿内の社会事業の大プロジェクトは「ほとんどギョーキ」。最初は弾圧していた朝廷もその実績を無視できなくなり、743年に聖武天皇から東大寺大仏建立への協力を依頼され、その翌々年に大だい僧そう正じょうに任命されますが、大仏開眼3年前の749年、奈良で入滅しました。で、行基は有馬温泉で何をしたかというと、724年に有馬に来て、薬師如来をお祀りする薬師堂、僧侶を育成する蘭らん若にゃ院、医薬を施す施薬院、故人の菩提を弔う菩提院を建立したとか、貧民救済のため十二坊を整備したとか、それで有馬温泉は繁盛したとか、というふうに伝えられております。その根拠となっているのは「温泉寺縁起」です。ちなみにこの温泉寺は明治時代の廃仏毀釈で廃寺とな116

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