今村 欣史書 ・ 六車明峰連載エッセイ/喫茶店の書斎から 雪の中で山鳥を拾つた詩人田中冬二の手紙を見ている。いや、わたしに来たものではない。若き日の宮崎修二朗翁に宛てたものである。宮崎翁については拙著『触媒のうた』(神戸新聞総合出版センター)に詳しく書いたが、兵庫県文化の恩人ともいえる人。封筒には懐かしい法隆寺壁画の十円切手が貼られていて、昭和29年7月19日の消印がある。手紙の内容は、冬二の詩「城崎温泉」を使用することへの応諾。神戸新聞紙上に「郷土文学アルバム」と題した宮崎記者による連載が始まったのは昭和29年。これに関するものと思われる。その後、この連載は『文学の旅・兵庫県』(神戸新聞社)という一冊に結実し、兵庫県の文学研究者には必携の書となっている。これが翁の処女出版本なのだ。その「城崎温泉」という詩。飛騨の高山では「雪の中で山鳥を拾つた」といふ言葉がある私は雪の中で山鳥を買つた。可哀相に胸に散弾のあとのある山鳥をさむい夜半だつた。私はそれを抱へて山陰線の下り列車を待つてゐた。想像していた詩とは大いに趣が違っていて、温泉地の情緒はない。ところで気になることがある。この詩の出だし。《飛騨の高山では「雪の中で山鳥を拾つた」といふ言葉がある》「雪の中で山鳥を拾つた」にどんな意味があるのか?わざわざカギかっこに入れてある。これには意味があるはず。飛騨高山でのみ通じるような故事来歴があるに違いない。それは何なのか?それがわからなければこの詩の真意は解らないのでは?わたしは『文学の旅・兵庫県』を繙いてみた。宮崎翁はこう紹介している。《城崎温泉――。心にしみ入るような一篇の詩が私のノートには記されていた。それは田中冬二氏の詩集『山鴫』のなかの「城崎温泉」というつぎのような短いものではあったが…。》この後に先の詩が載っている。しかし、「心にしみ入るような」と言いながら、「雪の中で山鳥を拾つ102
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