メリケンパークの「BE KOBE」モニュメント前は、週末になると、写真を撮る観光客で賑やかだ。そのすぐ近くに、親子3人の像が建つ。台座には「希望の船出」の文字。子どもは海に向かい指をさし、大人は遠い空を見つめている。その先にあるのはブラジルだ。像の名前は「移民船乗船記念碑」。日本からブラジルへと旅だった移民船が、ここ神戸港第三・第四突堤から出港していたことを記念し、2001年4月28日に建てられた。ブラジル・サントス港にも似た像があり、父親が内陸を指さしている。神戸の港からブラジルに向け、最初の移民船「笠戸丸」が出港したのは1908(明治41)年4月28日のこと。日本人移民の歴史は、さらに40年ほど、さかのぼる。初めての移民が計画されたのは、幕末。ハワイへ向けて移民団を送り出す直前に明治維新となり、明治政府はこれを承認しなかった。一部の者は、政府の決定を無視し移民を実行したが、後に救済を求めることになる。政府が初めて移民を許可したのは、1884(明治17)年。オーストラリアとパプアニューギニアの間に位置するトレス海峡への真珠貝採取移民を皮切りに、翌年からハワイへの移民が始まる。明治期の日本には、多くの労働者をまかなえるだけの重工業が発展していなかったため、出稼ぎを目的とした移民が主だ。悪質な仲介業者も存在し、労働条件は決してよいものではなかった。やがて、よりよい報酬を求め、アメリカ本土への移民が増えていく。1885(明治18)年以降には、日本人が見慣れぬ風習で暮らし、安い賃金で職を奪っていくとの不快感から軋轢を生み、排日運動にまで発展していく。NHKの大河ドラマ「青天を衝け」では主人公の渋沢栄一が、移民問題に奔走する晩年の姿が描かれた。移民先は、世界へと広がっていく。ブラジルが候補になったのは希望の船出像移民の背景 なぜ海外へブラジル移民25万人が旅立った神戸港開港以来、神戸の港は数々の歴史の舞台となった。その中でも、海外への移民船が多く出港したことは、今や忘れ去られようとしている。ブラジル移民25万人を送り出した神戸の歴史を振り返りたい。72
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