KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2022年2月号
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伝統で新たな境地を拓く代目の妻や、当時は二代目も健在でしたので、一丸となって商売を組み直した訳ですね。その後、高度成長期になると、富裕層は嫁入りの時にうちか不二屋さんの家具を一式揃えるようになり、飛ぶように売れたそうです。─永田良介商店が神戸家具発祥の店なのでしょうか。泰資 明治初期に船大工や宮大工を頼って家具をつくっていたのはうちだけではないので、最初だと言い切る自信はないです。うちを含めたいろいろな店が家具づくりを続け、神戸の地場産業として大きくなっていったのだと思います。─神戸家具の定義は何ですか。泰資 材料や色目、デザインが統一されている訳ではないので、特に定義はないんですが、時代の流れで、全国の家具の産地が効率化や大量生産を求めていく中で、歴史的にオーダーを積み重ねている産地は神戸くらいしかないんです。そこが差別化できるところではないでしょうか。─永田良介商店の家具の特徴はどんな点ですか。耕一 難しいですね。でも、古い家具でうちのかどうかを確認するポイントは、彫刻のまわりの縁です。同じ大きさで同じ格好で作ってあるんです。あとは上の角の飾り彫りですね。風見鶏の館に寄付された大正末期の家具がうちのではないかと確認しに行ったのですが、ちゃんと飾り彫りがありました。─乾邸やジェームス邸、ヨドコウ記念館、小磯良平のアトリエなど、阪神間を代表する文化財には永田良介商店の家具がありますね。耕一 でも、上手に手入れしておかないといけないので、乾邸は何年か一度にチェックさせてもらっています。小磯先生とは親しくさせていただいて、私の妹は肖像画を描いていただきました。近代建築の巨匠フランク・ロイド・ライト設計のヨドコウ迎賓館(旧山邑邸)の机と小椅子の復元を行ったジェームス邸ダイニングルームのサイドボードも永田製33

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