神戸で始まって 神戸で終る ㉔Tadanori Yokoo美術家横尾 忠則撮影:山田 ミユキアッという間に開館3周年。再びY字路登場。「続・Y字路」展は2015年から金沢21世紀美術館から着任した平林恵学芸員の初担当。彼女は2009年、僕が金沢21世紀美術館で個展をした時の担当学芸員で、面白いアイデアをどんどん出してくれた。特に公開制作は、自ら警備員にコスプレして、来客者から本物の警備員に間違えられるほどで、環境への順応性には先天性のものがあった。実は彼女の才能と人柄を評価していた僕は、蓑館長に早くから彼女をスカウトできないかと頼んでいたが、結局は正規の学芸員の試験を受けて実力で難関を突破して、横尾忠則現代美術館の正学芸員として採用されることになった。そんな彼女が担当した開館3周年記念展は「続・Y字路」展で、2006年以後のY字路作品を紹介する展覧会として、歴代1位の「反反復復反復」展、2位の「肖像図鑑」展についで3位の入場者数を記録する展覧会に仕立ててくれた。Y字路についてはすでに触れたと思うが、いわゆる三差路のことである。1本の道が左右に分離するその基点を中心に描いた風景画であるが、この主題の多くは夜景である。夜景にすることによって、左右2本の道が先で闇の中に消失していく。そんな構造の風景画は、今までほとんど美術の歴史上でも描かれていなかっただけに主題のオリジナル性を主張することになった。Y字路と名付けたのは僕の頭文字にもちなんでいるが、日本ではかつて「追い分け」と呼んでいた。元々農道が発展したものであるらしい。よく時代劇などで、二股に分かれた道の途中にお地蔵さんがある風景を映画などで記憶しているかと思うが、その昔はその分岐点に死んだ猫を埋めて、大きいしゃもじを立てた。そんな風習があったと聞いたこともある。一方ギリシャでは、この場所の守り神としてヘカテという女神がいたという話を聞いたことがある。僕がバンコックに旅をした時、しばしばY字路を発見したが、その中央に位置する家の壁には大きい無地の赤い紙がベタッと張ってあったのを思い出す。風水的にこの場所は鬼門になっていて、魔除けのための表示だったのかもしれない。日本でも、中央の家の前に自動車事故防止のための低いブロック塀が立てられている風景16
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