KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2022年2月号
123/128

調査飛行のため、九七式飛行艇に乗って、サイパンやパラオへ飛んでいる。「このときの視察で、私は南洋諸島の何千という島々の周囲が珊瑚礁にかこまれているのを見た。珊瑚環礁の中は実に静かで、これこそ理想的な天然飛行場だと思った…」菊原は、播磨灘で抱いた少年の頃の夢を世界を舞台に叶えていく。九七式飛行艇の優れた能力を認めた海軍はさらに高い性能の飛行艇の開発を要求する。「航続距離の要求は四○○○海里(七四○○キロメートル)、巡航速度も速い。当時としては、この距離を実現することは容易ではないと思った。それだけにまたファイトもわく…」。こう己を鼓舞した菊原のエンジニア人生は一気に開花しようとしていた。=後編へ続く(戸津井康之)んだテーマは、「シュナイダー・トロフィー・レース」に参加する水上競争機の機体設計だった。このレースは、フランスの大富豪、ジャック・シュナイダーが主宰した湖水や川など水面から離発着する水上機によるスピードレースの世界大会。1913年から1931年まで欧米各地を持ち回りで開かれ、名だたる航空機メーカーが参戦していたことで知られる飛行機マニア憧れのレースだ。やはり、無類の飛行機好きで知られるアニメ界の巨匠、宮崎駿監督がアニメ映画の傑作「紅の豚」(1992年)で、シュナイダー杯の歴代優勝機を彷彿とさせる飛行機を劇中に登場させ、改めてその存在、人気の高さを現代の映画ファンたちに紹介した。宮崎監督は、その後、〝5人のサムライ〞の中の一人、ゼロ戦設計者の堀越二郎を主人公のモデルにして劇場版アニメ「風立ちぬ」を製作している。宮崎にとっては、〝5人のサムライ〞の一人である菊原も憧れの航空エンジニアの一人だった。飛行機好きなら誰もが憧れながらも、遠い存在であったこのシュナイダー・トロフィー・レースに、学生時代の菊原はすでに照準を定めていた。世界と戦う覚悟を固めていたのだ。「自分が手掛けた日本の水上機で世界記録を…」と。姫路で生まれ、播磨の海や山を駆け回って育った菊原少年の心には、すでに、世界中の空と海とを縦横無尽に駆けめぐる水上機開発の夢が芽生えていたのかもしれない。赤道を超え、南洋航路を開拓する民間航空会社の奮闘を描いた東宝の映画「南海の花束」(1942年)に、菊原が設計を手掛けた川西航空機の九七式飛行艇が登場する。実際に菊原は、横浜―チモールの民間航空路開拓のための123

元のページ  ../index.html#123

このブックを見る