KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2022年2月号
101/128

たし、少し弁護しておきますが、この本は大変な努力の末に生れたものであり、後の研究者には大いに参考になるものであることは間違いない。兵庫県の文化賞を受けただけの価値はあると思っている。しかし宮崎翁にとっては、《妙な「社会的」な上昇感覚をもった人物(中野のこと)が、その時代の風潮を染色することのコワサを、後世の人に一人でも多く「正史」として伝えておくことが、世間への「罪滅ぼし」だと思うことがありまして、ネ。》と書いておられるのだ。砕花師がこんな輩とお付き合いがあったと読者(研究者)に思われることが宮崎翁には許せないのだ。とは云え、中野の砕花師への手紙は、就職の斡旋を依頼するなど、読む人が読めばその下心は見えるものではあるのだが。切り抜きの記事には、40カ所の盗用とあるが、わたしが10年前の本誌で指摘したところをもう一度上げておこう。先ず、福田の短歌。福田は自由律短歌である、からからと野晒しの白骨がなり 僕の枯れた指を 風が越えていつたそして中野の詩「火葬場のこほろぎが啼いている」より。 から から と 野晒しの白骨が鳴り 僕 の 枯れた 指 を 風が越えて行つたまるで一緒だ。国際新聞の取材に答えて日本音楽著作権協会押田良久氏は、《これじゃあ著作権うんぬんというより、はっきりした盗用だ。》ところが中野はこう弁明している。《三百部の限定本として出版したが『指と天然』というような歌集があったことも知らない。》書かれたものは残るんですね。恐いことです。(実寸タテ19㎝ × ヨコ8㎝)■今村欣史(いまむら・きんじ)一九四三年兵庫県生まれ。兵庫県現代詩協会会員。「半どんの会」会員。西宮芸術文化協会会員。著書に『触媒のうた』―宮崎修二朗翁の文学史秘話―(神戸新聞総合出版センター)、『コーヒーカップの耳』(編集工房ノア)、『完本 コーヒーカップの耳』(朝日新聞出版)ほか。■六車明峰(むぐるま・めいほう)一九五五年香川県生まれ。名筆研究会・編集人。「半どんの会」会計。こうべ芸文会員。神戸新聞明石文化教室講師。101

元のページ  ../index.html#101

このブックを見る