KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2022年2月号
100/128

今村 欣史書 ・ 六車明峰連載エッセイ/喫茶店の書斎から   記事になっていた盗用事件久しぶりに開けてみた。宮崎修二朗翁から託されていた紙袋である。著名文人からの書簡や、詩人の生原稿、そしてコピーなどが入っている。その中の、一枚の切り抜きに驚いた。それは無いはずのものだった。 本誌、2011年7月号より三回にわたり「剽窃」と題して、芥川賞候補にもなった洲本市出身の作家、中野繁雄の盗用のことを書いた。中野が、奈良出身の歌人福田米三郎の歌集『指と天然』(1942年)に掲載の短歌を自分の詩集『象形文字』(1955年)に盗用していたというもの。詳細はバックナンバーに当たられたい。その盗用事件を若き神戸新聞記者だった宮崎翁が記事にしたが、掲載はされなかった。ところが今回見つけたこの切り抜きは、まさにその事件ではないか。《波紋えがく一詩集の盗用?事件》の見出し。六段組、写真入りの大きな記事である。おかしいなあ。たしかに宮崎翁は「載せてもらえなかった」とおっしゃった。ところがよく見てみると、上部欄外に「國」という一字が見える。ということは「神戸新聞」ではなく、これは「國際新聞」なのだ。裏には日付がある。1955年4月27日。詩集『象形文字』は同じ年の正月に発行されている。なぜ神戸新聞には掲載されなかったのか。思うに、上司が中野あるいはその周辺に忖度したのだ。しかし悔しい。なので、自分がかつて在籍していた「國際新聞」で記事にしてもらったということなのだろう。このこと、わたしは聞いてはいない。翁はこの切り抜きを紛失したと思い込んでおられたのか。あれほど記憶力抜群の宮崎翁でもこんなことがあったのだ。折りたたまれて、多くの書類の間に挟まれた古い切り抜き。探し出すことができなかったのだ。それを今頃になってわたしが見つけるなんて。ところでこの中野繁雄だが、詩人和田英子さんの労著『風の如き人への手紙・詩人富田砕花宛書簡ノート』(1998年・編集工房ノア刊)の巻末近くに多くのページが割かれている。このことが宮崎翁には大いにご不満だった。翁からのわたしへの手紙にこんなことが書かれている。《〇〇〇〇ニンゲンがどんな手紙を書いて砕師にとり入ろうとしたか。(略)本になってしまって、悔やまれてなりません。》富田砕花の真の理解者だった翁の言葉である。ただし、和田さんのお人柄に触れたことのあるわ100

元のページ  ../index.html#100

このブックを見る