カ人のように思っていた。大阪ミナミのアメリカ村にもサーフショップが現れて、若者はアメリカが一番好きで、米軍の払い下げのGパンやGシャツが流行った。ボクはアメリカ映画でその実験国家の文明と文化を知りたかっただけで、アメリカ帝国主義の戦争には反対だった。少年期のボクに『コンバット』を見せて、ハリウッド帝国に抗い続けた作家に、ロバート・アルトマン監督がいる。朝鮮戦争中の野戦病院のてんやわんやを皮肉った『M★A★S★H マッシュ』(70年)の反戦シネマも忘れられないが、飄々としたエリオット・グールドを再び、探偵フィリップ・マーロウ役に起用した『ロング・グッドバイ』(74年)もこの頃だ。ハードボイルドという、人物の感情は描かずに簡潔に事を追う小説の映画化だ。でも、全編の画面が止まらずに横に縦に動いていて最後まで気分が落ち着かず、中身の事件もなかなか解決しなかった。腑に落ちずに歩き回るマーロウの気分に合っていたのか。ただ、この不思議な画面は、後に『ディア・ハンター』(79年)や『天国の門』(81年)を撮るヴィルモス・ジグモンドというキャメラマンの仕業だった。この映像師は56年に故郷ハンガリーの動乱に巻き込まれ、それを撮ったフィルムを持って、『イージー・ライダー』を撮る友人ラズロ・コバックスと共に「表現する自由」を求めてアメリカに亡命した人だった。でも、探偵ものはボクに不向きだった。アルトマンの所為か、探偵ものは今まで撮ったこともない。74年のクリスマスに封切られた傑作は何と言おうが、『ゴッドファーザー PARTⅡ』だ。日本は年を越して4月のゴールデンウィーク公開。映画興行で金儲けする週の意味だが、今の若者はそれも知らない。このマフィア一家の叙事詩も知らないはずだ。これは3回は見ないと人に語れない。アメリカでは公開するや客が列をなしたと聞いた。だからか、年明けの大阪の地下鉄のドア口にも厳めしい小さなポスターが早々に貼られていた。「PARTⅡ」という世界で初めての題名に、ボクは「なんのこっちゃねん?」と首を傾げた。切り落とした馬の生首を思い出す前作の本当の続篇か、今一つ解らなかった。だから、生首の代わりに何が出るのか、春まで待つしかなかった。撮影は名手ゴードン・ウィリスだ。アル・パチーノやデ・ニーロを徹底的リアリズムで撮った。その暗部の多い照明法は世界に拡がった。二人の演技の先生、リー・ストラスバーグもマイアミのギャング役で出た。凄まじい3時間20分。ボクは見事に打ちのめされ、作り始めたピンク映画などどうでもよくなっていた。今月の映画『ダラスの熱い日』(1974年)『ロング・グッドバイ』(1974年)『ゴッドファーザー PARTⅡ』(1975年)51
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