KOBECCO(月刊 神戸っ子)2022年1月号
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休日』(54年)など本名を隠して書いた、ダルトン・トランボという脚本家の作品だから観たのだった。脚本やキャメラマンの名前で映画を観るようになっていた。作戦決行の何日も前から何人もの狙撃手が射撃訓練をする場面まであった。74年になると、米軍はベトナムから撤退していたし、10年前にべトナムへ軍事介入したことをケネディはどう考え、それを誰と誰が邪魔しようと企んだのか、映画で振り返っていた。60昔から、年末年始に封切られる正月映画は大味だが、その時代の気分を代弁していたのも確かだ。1974年の正月、ボクが観たのはマイナーなものしか記憶にないが、中でも『ダラスの熱い日』はまさに代表作で63年11月のケネディ暗殺の犯人たちは政府の中にいた者たちの共同謀議だったと大胆な仮説を立てて描いていた。バート・ランカスターの主演だが、50年代に赤狩りにあっても『ローマの年代の回顧や反省の映画が作られ出した頃だった。ジョージ・ルーカスという青年が前年73年に作った『アメリカン・グラフィティ』が全米でヒットし、年末には日本にやって来ると聞いた。ケネディ時代のカリフォルニアの白人ばかりの田舎町が舞台で、平穏で能天気だった高校生らの一夜の戯れを描く“音楽ファッション映画”だから絶対に見ようと関西のあちこちで若者が噂していた。あちこちの若者がまるで自分もアメリ井筒 和幸映画を かんがえるvol.10PROFILE井筒 和幸1952年奈良県生まれ。奈良県奈良高等学校在学中から映画製作を開始。8mm映画『オレたちに明日はない』、卒業後に16mm『戦争を知らんガキ』を製作。1981年『ガキ帝国』で日本映画監督協会新人奨励賞を受賞。以降、『みゆき』『二代目はクリスチャン』『犬死にせしもの』『宇宙の法則』『突然炎のごとく』『岸和田少年愚連隊』『のど自慢』『ゲロッパ!』『パッチギ!』など、様々な社会派エンターテイメント作品を作り続けている。映画『無頼』セルDVD、2021年11月25日発売。50

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