KOBECCO(月刊 神戸っ子)2022年1月号
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神戸で始まって 神戸で終る ㉓Tadanori Yokoo美術家横尾 忠則撮影:山田 ミユキ第7回展は2014年、阪神・淡路大震災20年展として兵庫県立美術館、出原均学芸員をゲスト・キュレーターに迎えた「粋と水平線と・・・グラフィック・ワークを超えて」と題した、この美術館初のグラフィックを中心にした展覧会が開催された。キュレーターの出原均さんはすでに述べたように横尾忠則現代美術館設立に際して、当初から深く関わっていただいており、本展のアイデアは、以前からの出原さんの興味の対象でもあった。出原さんは、横尾のポスターがグラフィック作品の粋を超えて、絵画と同等の表現行為であることを「粋」「水平線」「人物」「文字」「繰り返し」「集合」「変容」の7つのキーワードから解き明かしてみせたと語る。作者の僕はこのように作品が分析され、解体されたことに一種の驚きを禁じ得なかったが、そう言われてみれば、このような多面的なエレメントによって僕のポスター作品が創作されていることに改めて気づき、客観的な視点で自作に接したことが大変面白かった。出原さんは僕の作品をこのように分析することで、作品批評を行った。一般の観賞者もこのような観点で作品に接する体験を、初めて経験したのではないだろうか。批評の役割とは結局こういうことなのではないだろうか。次の第8回展は足掛け20年近く、写真家の篠山紀信さんが撮り続けた「記憶の遠近術~篠山紀信、横尾忠則を撮る」と題する写真展で、この美術館初めての横尾作品以外の作家の作品展となり、この展覧会によって横尾忠則現代美術館の活動の巾が拡大される切っ掛けになった。従来の横尾の作品の活動だけではなく、横尾の生活や個人史的な世界へ視座を拡大しようという美術館側の方向を暗示する展覧会になったと思う。篠山紀信さんとの交流は長く、1964年の東京オリンピックの年から始まり、「コマーシャル・フォト」誌で当時話題になった様に広告のパロディ作品のコラボレーションに端を発し、1970年に「an・an」誌による、10年ぶりに郷里西脇に帰省するドキュメント作品、その後、帰還前の沖縄に2人で旅する、そのような機会の写真を母胎にして、さらに僕のアイドル、スターとのツーショットと、16

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