KOBECCO(月刊 神戸っ子)2022年1月号
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唯一無二の飛行艇世界最高峰の性能を誇る日本の救難飛行艇「US-2」の開発製造を手掛ける新明和工業(本社・兵庫県宝塚市)が一昨年、創業100周年を迎えた。その前身は1920年2月、神戸市兵庫区に創設された川西機械製作所だ。繊維機械と並行し、倉庫の一角に飛行機部を立ち上げ、当時珍しかった航空機の開発製造を始めた社長の川西龍三は1928年、この部を独立し、川西航空機を発足した。「この手で世界に負けない高性能の飛行機をつくる…」。龍三の創業以来のこの信念は1世紀経った今も健在だ。第二次世界大戦末期、龍三率いる川西航空機が開発した戦闘機「紫電改」は、その卓越した飛行性能で、同社の技術力の高さを国内外に証明してみせたが、実は川西航空機はある特殊な航空技術力によって、航空業界では一目置かれる存在だった。海の上など水面を離発着する水上機や飛行艇の開発において、独自の技術を磨いた個性的な航空機メーカーとして知られていたのだ。紫電改で手痛い目に合わされた米軍は、日本の制空権を手に入れると、鳴尾村(現西宮市)や神戸市東灘区の工場など川西航空機の施設を次々とターゲットに定め、執拗な空襲で焼き尽くしていった。そして終戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)により、川西航空機は解散を命じられ、社長の龍三は公職追放処分(後に解除)となった。いわゆる「航空機製造禁止令」により、川西航空機は一切の航空機製造を中止され、工場も接収された。城山三郎の小説「零からの栄光」の中で、このどん底の状態が綴られている。《会社をあげて飛行機一本に生きてきた川西は、飛行機を失えば、残る何ものもない。工場設備をはじめとする有形・無形の蓄財すべてが零になった上、希望ま神戸偉人伝外伝 〜知られざる偉業〜㉑後編川西龍三「空への憧れは永遠に…世界へ羽ばたく川西龍三の夢」128

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