KOBECCO(月刊 神戸っ子)2022年1月号
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今村 欣史書 ・ 六車明峰連載エッセイ/喫茶店の書斎から   杉山平一氏の年譜詩人杉山平一氏の年譜を読んでいる。これが面白い、と言ってはいけないかもしれないのだが、やはり面白い。いきなりこう始まる。大正三年(一九一四年)当歳十一月二日、福島県会津若松市に生れた。産婆が、母美登のおでこに聴診器を当てて、男か女かを判別したという。雪の日は保温のため蚊帳を吊ったと後年母は語った。翌年、発電所は完成、一家は神戸へ帰任した。この年譜は一九九七年に出た『杉山平一全詩集』(編集工房ノア刊)の下巻に載っているもの。その巻末に二段組で60ページもある。これまで全てを通して読んだことはなかった。今回必要があってじっくり調べるために、この60ページ分をコピーして一冊に簡易製本した。これで手軽に読むことができる。読んでみて、こんなに面白かったのかと思った次第。杉山氏は生前、神戸新聞に「わが心の自叙伝」を書いておられるが、それよりよほど面白い。誤解のなきよう申しておきますが、この「面白い」は「おもしろおかしい」というのとは違う。杉山氏の人生の前半は、愛児二人を相ついで亡くすなど、辛酸を極めておられる。そんなことも含め、自叙伝とはまた違った書きようなのだ。多分、これは日記からの抄出に違いない。あの戦中の厳しい生活の中でも書いておられたということ。また戦後、盛時には従業員3000人ともいわれた、父が経営する「尼崎精工」の専務として、倒産に至る壮絶な苦闘の中、それでも書いておられたというわけだ。それが後の数多くの著作に生かされている。そのリアリティーあふれる記述からいくつかを。昭和二十年(一九四五年)三十一歳二月十三日、膿胸で入院中の長男考平、火鉢だけの寒々とした部屋で死す。頭上を敵機通過中だった。昭和三十一年(一九五六年)四十二歳四月三日、国税局工場全面差押え。電気止め、作業停止を指示、従業員の生活にかかわると、代議士や、酒〇組の親分の口ききも頼んで、十二日に至ってやっと作業始まる。酒〇組に金融を頼むなどして暴力団の介入はじまる。あの学者然とした杉山氏には似つかわしくない体験だ。 102

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