KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2021年12月号
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ます。もうひとつは前述の通り、弘法大師信仰で賑わってきました。そして文化の場でもあります。光源氏のモデルの一人、在原行平公ゆかりの一絃琴、須磨琴の伝承活動を続けています。行平公が須磨に流されたのは須磨寺開創の翌年なんですよ。─源氏物語と平家物語の両方に縁があるのも珍しいですよね。小池 平家物語では一ノ谷の合戦の舞台で、ここは義経の陣地だったといいます。熊谷直実が平敦盛を討つシーンは涙を誘いますが、敦盛の笛、青葉の笛は寺宝としていまに伝えています。その笛を見に来たのが松尾芭蕉と与謝蕪村です。芭蕉は「青葉の笛の拝観料が高すぎる」と記していますが、現在は無料で公開していますので、みなさま是非ご覧ください。近代では自由律俳句の尾崎放ほうさい哉が堂守として滞在していました。境内に文学碑が23基もあるのも、須磨寺の特徴です。─境内にはユニークなものも多いですよね。小池 頭を撫でたら動く猿とか、どんな音楽音痴でも弾けるキーボードとか(笑)。数年前、ある雑誌で「珍寺ナンバーワン」に選ばれたんですよ。いろいろな「おもろい」ものを置いているのは、先代の住職である祖父の思いからです。祖父は戦争で出征し、捕らえられシベリアに抑留され、捕虜収容所で起きた火災の責任を取らされてソ連の刑務所に5年間収容されて奇跡的に帰ってきたんです。そんな過酷な体験から、笑顔になるときに生きている喜びを得られると。そして、お寺も仏教も葬儀や法事など死んだ人のためというイメージが強すぎると。祖父は「生きるための仏教」「生きている人のための寺」でありたいという思いがすごくあり、悲しみにある人も何かに触れて反応があって笑ってしまったりとか、心が軽くなったりとか、たまたま居合わせた人と会話が生まれ心がほぐれたりする、そのようなきっかけになる「おもろい」ものを置いて参加体験型のお寺を目指したんです。─小池さんが僧侶になったきっかけは。小池 まさに「生きるための仏教」というのが原点です。大学でまちづくり、中でも地域コミュニティの創造をテーマに研究していました。そんな時、母から渡された一冊の本を読んで、お寺とは地域の人の繋がりの場であり、「住職」とは「十職」で、一から十まで人々の苦しみに寄り添う仕事なんだと知った時に、僧侶に無限の可能性を感じてしまっまちづくり転じてお坊さん39

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