KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2021年11月号
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と代表曲を歌い上げていった。その中で披露された1曲「あまりりす」は、岸田さんの大ファンだった山口百恵からのリクエストにこたえ、作曲した。山口の1977年のアルバム「花ざかり」に岸田さんが提供した3曲のうちの1曲だ。作詞はヒットメーカー、松本隆が担当した。「全国ツアーで広島にいたとき。松本さんが書き上げたばかりの詞を持ってレコード会社のスタッフが会場の楽屋へ来たんです。まだ、ファックスもパソコンも普及していない時代でしたから、直接、詩を書いた紙を持って来たんですよ」と岸田さんは説明する。「松本隆さんはドラマーなので、詩にはもう既にリズムがあった。だから、すぐにイメージが浮かび上がり、ギターを抱えながら一気に作曲していきました。ほんの15分ぐらいで完成したでしょうか。するとスタッフは、『今すぐに、松本さんたちにこの曲を聴かせたい』と言いだしたんです。そして、僕が作曲して吹き込んだカセットテープを持って会場を出ていきました」いったい、どうやってテープを送ったのか?「今だから話せることですよ」岸田さんは、笑いながらこう前置きしたうえで、「新幹線の車内の棚の上に、カセットテープを入れた袋を載せて広島駅を出発させ、東京駅で待っているスタッフが、この袋を回収に行く…という方法だったんです」と語った。新たなチャレンジは続くヒット曲を繰り出す一方、岸田さんは俳優としても忙しい日々を送ってきた。テレビドラマへの出演の他、ミュージカルなどの舞台にも挑んだ。1992年、本田美奈子さんと共演したミュージカル「ミス・サイゴン」は一大ブームを巻き起こしたが、「実は、美奈子ちゃんも僕も、こんな大舞台のミュージカルへの出演は初めて。一緒に発声練習から始めたんですよ」と明かす。橋田壽賀子脚本による国民的人気ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」では、〝少し頼りない〟三枚目の健治を好演。ドラマで欠かせないキャラクターとして、親しまれてきた。「健治を演じて10年ほど経った頃。橋田先生から、突然、『あなたは歌を歌う人だったのね』と言われたんです。ずっと僕のことを俳優として見てくれていたことがうれしくて…」と、昨年死去した橋田さんを偲びながら語った。ミュージカルや舞台の楽曲なども手掛け、音楽監督としても活躍。演出家として活躍するジャニーズの元少年隊メンバー、錦織一清さんとは長年の盟友。演出家、音楽監督としてコンビを組み、数々の舞台をつくりあげてきた。歌手、俳優、音楽監督…。45年間、エンターテインメントの世界で第一線を駆け抜けてきた。次なる目標は?「映画音楽の劇伴にチャレンジしてみたいですね。実は、僕の45年前のデビュー曲『蒼い旅』は映画の主題歌だったん26

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