KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2021年11月号
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よって現代芸術の最先端を走るスターになっていった。僕はウォーホルのやったことに直接影響を受けたというより、子供の頃から映画スターの肖像を趣味で描いていた。その延長で、絵の中に有名人の肖像を描き込むスタイルで、ウォーホルのように主題そのものを肖像画にしたわけではない。ウォーホルは肖像画の人物の背景からいっさい物語性を剥奪する方法をとったが、僕は逆に画面を物語にしてしまった。まあ、ウォーホルとの対比は別として、本展には瀬戸内寂聴さんの「奇縁まんだら」と題するエッセイのために描いた肖像画とは別に日本の文豪シリーズの肖像画、総出展数600点以上が一同に展示された。横尾忠則現代美術館至上最多となっ神戸で始まって 神戸で終る ㉑同時に彼女の肖像画を描いた。モンローの写真そのものに俗悪ともいえるケバケバしく増悪ともいえる原色で着色することで、薄っぺらいまるでメンコの絵を拡大したような通俗画に仕立てた。その後もエリザベス・テイラー、エルビス・プレスリー、マーロン・ブランドと次々スターの様々な属性をはぎ取って、ペラペラの非アートを製造し続けた。彼の描くコカ・コーラ×キャンベルスープ缶、1ドル紙幣と同等の商品のようにスターを描き続けた。後にはスター以外の注文肖像画へと発展して、画料を払えば誰でも描くという完全に職業肖像画家に変容していった。彼のこうした卑俗な売り出し方がそのままポップアートの思想を生んでいくことになった。非芸術的なものを描くことに横尾忠則現代美術館の第4回展は「肖像図鑑」だった。当時新人だった学芸員の林優さんが初めてキュレーションした展覧会だった。僕の作品にはしばしば有名人の肖像を描き入れることがある。知られている人間の肖像が画面に描き加えられることで、アートが非アートになることがある。芸術至上主義に対する反抗でもある。有名人の肖像画が描かれることで一気に絵が大衆化される。この発想の先駆者的存在は、ポップアートのアンディ・ウォーホルである。ウォーホルは有名人そのものを大衆消費社会のイコンと考えた。つまり有名人を描くことで有名人を商品として見たてた。まず最初に驚いたのは、ウォーホルはマリリン・モンローの死とTadanori Yokoo美術家横尾 忠則撮影:山田 ミユキ18

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