妻に命じて反故にして仕舞った」という本文の終りの方を「よんでケンるとウマ・シカ・キてまヅいものだ。あまりチかしいからマヅ・タツてツマにイノチじてハンコにしてシブった」というように読んでもらうのである。》 これを読んで思い出したことがある。昔、宮崎修二朗翁が教えてくださった校正の方法。「意味が解ってはダメなんです。後ろから読み合わせするんです」例えばこうだ。「意味が解ってはダメなんです」は、「すでんなメダはてっかわがみい」と。漢字とカタカナも確認しながら。なるほど、これはいい方法だと思ってわたしもやろうとしたが、あまりにも面倒だった。一字一字拾わなくてはならない。誤植が絶対に許されない、というものだったら致し方ないが、とても真似られるものではなかった。本を出すものにとって誤植は宿命かもしれない。最近ではワードによる変換ミスが多発している。これはどなたも経験がおありだろう。中に思わず笑ってしまうような変換が起こる。「扶養家族」が「不要家族」になっていたり。ところで拙著だが、四年前の『触媒のうた』(神戸新聞総合出版センター刊)にはいくつかの誤植がある。懸命に校正したのですがねえ。ところが昨年の『完本・コーヒーカップの耳』(朝日新聞出版刊)には今のところ一カ所も見つかっていない。「校閲 くすのき舎」となっていて、チームでやってくださったのだろう。さすがに朝日である。もう一度『縁起・小墓圓満地蔵尊』に話を戻すが、実は発行後に一カ所、誤植が見つかったのだ。あれほどしっかりやったつもりでも出るんですねえ。たった一字だが明らかな誤植だ。でもそれは見つけにくいもの。黙っていればだれも気づくものか、である。ここでは内緒にしておこう。ただ、先に「冒頭の項に思いがけないことが書かれていて」と書いたが、それを読まれると分かってしまう。決して読まないでくださいね。(実寸タテ10㎝ × ヨコ14㎝)■今村欣史(いまむら・きんじ)一九四三年兵庫県生まれ。兵庫県現代詩協会会員。「半どんの会」会員。西宮芸術文化協会会員。著書に『触媒のうた』―宮崎修二朗翁の文学史秘話―(神戸新聞総合出版センター)、『コーヒーカップの耳』(編集工房ノア)、『完本 コーヒーカップの耳』(朝日新聞出版)ほか。■六車明峰(むぐるま・めいほう)一九五五年香川県生まれ。名筆研究会・編集人。「半どんの会」会計。こうべ芸文会員。神戸新聞明石文化教室講師。115
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