今村 欣史書 ・ 六車明峰連載エッセイ/喫茶店の書斎から 誤植防止法読者から電話があった。「誤植が」と。前号でもちょっと触れた近著『縁起・小墓圓満地蔵尊』のことである。わたしは「ドキッ」である。電話の主は元高校の国語教師。言わば専門家だ。わずか50ページほどのものだが、編集者と何度も何度も校正したのだった。もう間違いはないだろうと判断しての出版は初稿から半年が経っていた。電話での指摘は、「三界萬霊等」の「等」は「塔」では?というものだった。そう思われるのも無理はない。しかしこれは誤植ではない。当の石塔にそう彫ってあるのだから。しかし、ご指摘はありがたいこと。しっかりと読んでくださっている証しだ。わたしが所持する本に『誤植読本』(高橋輝次・ちくま文庫)というのがある。著者の高橋氏は、元創元社の編集者で、現在はフリーライター。『ぼくの古本探検記』など多数の著書があり、知人だ。氏と知り合ったのは、本誌『KOBECCO』の縁による。もう十数年になるだろうか。神戸のホテルのロビーで『KOBECCO』を手にし、わたしのページを読んで興味をもち、編集部を通じ連絡を下さったのだった。その後、「喫茶・輪」へも来店してくださるなど交誼させてもらっている。コロナ禍以前には、神戸などの古本屋でもよく顔を合わせたものだが、最近はご無沙汰だ。このほどその『誤植読本』を、「喫茶・輪」の書棚から出してきてパラパラと読んでいたのだが、冒頭の項に思いがけないことが書かれていて、わたしは愕然とした。その内容はここでは書かない。前にも読んだはずだが忘れてしまっていた。我ながら情けない。小宮豊隆の次の文章に注目。『漱石全集』の校正について書かれている。《森田草平と内田百閒と私とがその校正をひき受けた。私は一つも誤植のない全集を世の中に送る覚悟で、校正に従事しようとした。》ところが何度やっても見落としが出てきて、ついに、見落とし発見に賞まで懸けたという。そして、こんなことが書かれている。《助手の一人に本文を特別な、意味の通じない読み方で読んでもらいながら見て行き誤植を発見しようとする、新しい方法を案出した。例えば「僕が二十三四にかきかけた小説が十五六枚残って居た。よんで見ると馬鹿気てまずいものだ。あまり耻かしいから先達て114
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