KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2021年10月号
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級生でもある。やはり、人の縁の不思議を感じてしまう。その豆絵巻、貴重な残部の中からお譲りくださった。何冊かの豆本は所持するが、豆絵巻は初めて手にする。『阪神大地震図巻』と題されて「直後図巻」と「五年図巻」の二巻一組。それが一個の箱に収められている。箱の大きさは35×40×65ミリ。掌の中にすっぽりと納まってしまうかわいいものだ。しかし広げてみると、長さ5メートルを優に超える。ところが幅はたったの32ミリ。その中に被災したビルや民家などの姿が詳細に並んでいる。その「あとがき」に注目。わたしの肉眼ではとても読めない。一般的には使われることのない5ポイント弱の文字。こんなことが書かれている。《阪神電車の車窓から見える街の様子(どうして道路でなく電車沿いかというと、家々の裏側が見えるから)を描いておけば百年後二百年後の人たちが興味を持って見てくれるだろうと実行したのが昭和62年のこと。ところが百年はおろか8年後にすっかり崩壊してしまったのには全く驚いてしまった。(略)これは後世に残さねばと災害実景をチェックした。(略)階下の部屋がつぶれ、二階が落ち込んで道路に立ちふさがっている家が多く、中にはその二階の側壁がすっかりはずれて、娘さんの勉強部屋であろうか、机、本棚がそのまま道に向かってさらけ出されている家があるかと思えば、階下にあった茶の間、それは厳冬のこととて、腰掛式の炬燵が部屋の真ん中にしつらえてあり、住んでいた時そのままに薬缶が転がり、茶碗が散乱したままといったところが次々と展開していた。正月のこととて壁には子供の書初めも貼り付けられてある家もあり、瓦解した玄関先に逝かれた家族への手向けの花であろうチョコレートの箱も添えてお供えがなされてある(略)》絵を描く人の眼だ。あの時のことが生々しく蘇ってくる。ということで、わたしの書棚を珍しい書物が飾ることになった。このような縁をなんと呼ぶべきか。仏縁ならぬ神縁か。(実寸タテ12㎝ × ヨコ5.8㎝)■今村欣史(いまむら・きんじ)一九四三年兵庫県生まれ。兵庫県現代詩協会会員。「半どんの会」会員。西宮芸術文化協会会員。著書に『触媒のうた』―宮崎修二朗翁の文学史秘話―(神戸新聞総合出版センター)、『コーヒーカップの耳』(編集工房ノア)、『完本 コーヒーカップの耳』(朝日新聞出版)ほか。■六車明峰(むぐるま・めいほう)一九五五年香川県生まれ。名筆研究会・編集人。「半どんの会」会計。こうべ芸文会員。神戸新聞明石文化教室講師。89

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