KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2021年10月号
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今村 欣史書 ・ 六車明峰連載エッセイ/喫茶店の書斎から   豆絵巻8月号に新しく出した本『縁起・小墓圓満地蔵尊』のことを書いた。その本に登場する重要人物に、元椿本チェインの社長会長を務めた故大村利一氏があり、地蔵さんの敷地の地権者の一人である。この本が完成して豊中市にお住いのご遺族にお送りした。すると利一氏のお孫さんが西宮までやってこられ、まず駅から近い西宮神社を訪問された。本には大村家が江戸時代に神社に寄進した燈籠のことを記している。そこを権宮司に見せて確認されたのだ。しかしその燈籠は阪神大震災で倒壊してしまっていた。小さな傷なら再興できたが、叶わなかったと。その時「これはいい本ですねえ」と言われたと。ということで、権宮司からわたしのところに電話があり、本を所望され、直接届けに行った。いただいた名刺には吉井良英とある。わたしは尋ねた。「もしかしたら権宮司は、昔の権宮司の吉井貞俊さんのご子息ではありませんか?」。20年前に出した拙詩集『コーヒーカップの耳』と縁があったのだ。詩集の出版記念会会場の候補の一つが、実現はしなかったが西宮神社の「神社会館」だった。また詩集はある人(宮崎修二朗翁だが)の縁で吉井貞俊さんにお贈りした。すると見事な毛筆で感想のお便りをいただいた。さらに、氏の手になる「阪神スケッチ散歩」という絵巻物の縮小コピーが同封されていた。これは当時、大きな話題になっていたものである。一九九九年の新聞記事にこう書かれている。《商売の神様「えべっさん」で知られる西宮神社の吉井貞俊権宮司が、震災後と5年目に阪神電鉄本線西宮―元町駅間約十五キロの沿線の景観を克明にスケッチし、絵巻にまとめている。(略)長さ四十五メートルに及ぶ大作で、震災の街なみの変化を伝える貴重な資料となりそうだ。》後にこの絵巻物を含めた吉井貞俊氏の個展が神社会館で催され、わたしはそれを見ている。その時、体調を損ねておられた権宮司は入院先から一時外出して会場におられたが、歓談にお忙しい様子で話す機会を失った。それが氏を見た最後だった。このことを『縁起小墓圓満地蔵尊』の編集者の水間貴保氏に話すと、「その絵巻物は豆絵巻になっています。わたしも編集に関わりました。今回のお地蔵さんの本とともに最も力を尽くしたものでした」とのこと。驚いた。実は貴保氏は、わたしの長男の小学校時代の同88

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