宅すると、化粧の濃いカレン・ブラック扮する同棲女が、男への一途な愛を歌う気だるいカントリー・ブルースのレコードをかけながら待っている。男がその顔に一段と疲れた顔をしたので笑った。最底辺で生きる彼ら白人たちの好きな曲だろうが、ボクが住む奈良の田舎の国道端の純喫茶で毎日かかっていてもよさそうな、その気だるさが心地よかった。この男のように未来が定まらず、適当に生き流してるボクの心の空洞をひと時でも埋めてくれて、もうカリフォルニアも奈良も一緒くたにして見入っていた。実は、男は東部ワシントンの田舎が故郷で、兄夫婦も姉も音楽一家だ。彼だけ、音楽の道から外れて放浪していたのだ。男は石油堀りも厭きたか、脳卒中で療養する父のいる故郷に帰る。女を連れてドライブする道中も面白い。ゴミのないアラスカで暮らすのよ、と言うヒッピー女を乗せたり、ドライブインで今どきのメニューにイチャンモンをつけたり。最後に、男は過去のすべてを捨てて、解放区を目指す。題名がいい。ピアニストのための5つの練習曲、カウボーイの身の周りの5つの物とも。鞍、ブーツの拍車、股当てチャップス、手袋とジッポーライター。これだけあれば生きていけるというわけだ。ボクも身軽になれた気がした。ニューシネマは歴史を問い直して懺悔するような深刻なものより、前向きでラジカルな作風が多かった。ここでまた思い出すのは我らがマック、スティーブ・マックィーンの忘れられた逸品だ。カントリーシャツとジーンズを着こなし、中西部のあちこちのロデオ大会に出て賞金を稼ぐ流れ者の、『ジュニア・ボナー 華麗なる挑戦』(72年)は、血と暴力で人間を語るサム・ペキンパー監督には珍しく、アリゾナのボナー一家の行く末をしみじみと描いていた。「華麗なる挑戦」は原題にはない。付け足しの邦題だ。中身は粋なのに邦題は不粋だな。今はなき大阪ミナミの戎橋劇場で公開の最終日にすべり込みで観た。情報誌もスマホもない時代、新作がかかる劇場を探すには「見るぞ」という気合いと執念が必要だった。この映画も見果てぬ夢への執着を描いている。ロデオ一筋に生きた父ボナーの背中を見て育った息子を、マックはクールに演じた。アリゾナに戻ったマックは、ロデオも引退して母と別れた道楽親父の、無謀な夢の話を聞かされるや、ロデオに運を賭ける。あんな爽やかな彼の顔を見たのは初めてだった。故郷の母の手料理のマッシュポテトも旨そうに食べた。ボクも、母の味が急に恋しくてならなかった。今月の映画「ファイブ・イージー・ピーセス」(1971年)「ジュニア・ボナー 華麗なる挑戦」(1972年)41
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