KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2021年10月号
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た。東京から神戸までの2時間が時には苦痛になることもあり、新幹線の乗車など駅構内の行動も思うようにならなくなり、何回目からか秘書の徳永に同行してもらうことになった。今まではどんなに遠くでもひとりで行っていたが、今はどこに行くのもひとりでは動けなくなってしまった。年齢の衰えはいつの間にか肉体の衰えに変わってしまう。気分的には年を取った感覚はない。今でも、四、五十代の気分でいるつもりだが、知らず知らず、肉体にダメージが与えられる。学芸員諸氏も、外見上、彼等と同じような格好をしているので、こちらに対しては老人扱いはしてくれない。そのことが失礼だと思っているらしいが、老人扱いをしてくれない方が失礼である(笑)。神戸で始まって 神戸で終る ⑳僕の透視能力(?)によって、見ていない展覧会まで見えるような気がする。開館オープン時には年4回の展覧会が予定されていたが、現実的にこの頻度で展覧会を続行するのは作品点数の制限と、学芸員の人数などを考えると、多忙を極めるために、年4回の展覧会を3回に減らすことになった。それでも、オープン時は全員が張り切っていたので、このオーバーワークも物ともしないで、どんどんこなしていた。僕は展覧会が変わる度に美術館に出掛けることにした。同伴の妻も、まるで人生の最後の楽しみのようにしていたが、お互いに年齢と共に体力が目に見えて落ち始め、僕は特に耳が難聴になったために、会話の不自由が目に見えて激しくなっていっ横尾忠則現代美術館がオープンすると同時に、何となく気ぜわしい気分になってきた。僕が特別何かやるわけでもないのに、神戸の方からザワザワしている波動が東京にまで伝わってくる。こうした心的状況は今も同じで、アトリエにいながらもうひとつの分離した意識は神戸にいるというバイロケーション(一箇所にいながら別の場所にも存在する)感覚を常に味わっている。美術館の建物の隅々まで、透視しているようにはっきりと見える。勿論、学芸課長の山本淳夫さん、学芸員の平林恵さん、林優さんも、今どこで何をしているのかが手に取るように、まるで映像で見ているように見える。現在はコロナ禍のために、現地に行くことは控えているが、Tadanori Yokoo美術家横尾 忠則撮影:山田 ミユキ20

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