KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2021年8月号
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―パリまで会いに行こうとしたル・コルビュジェとはどんな建築家だったのですか。「近代建築の巨匠」といわれるル・コルビュジェは、建築家として世界に発信するためフランス・パリを拠点としました。しかし、伝統を重んじるエコール・デ・ボザールの潮流と相容れず、長い格闘を続けることになります。1960年代になって、シャルル・ド・ゴール政権のもと文化大臣を務めたアンドレ・マルローによって、フランスの誇る近代建築として「サヴォア邸」が再評価され、歴史的価値が認められるようになりました。その時既に、コルビュジェは70代半ばに達していました。―コルビュジェのどんなところに惹かれたのですか。20代のころ、大阪の古本屋でコルビュジェの作品集に出会いました。作品のスケッチを描き写すうち、「すごいな」と感心したのはもちろんですが、その挑戦し続ける姿に惹かれ、「ぜひ会ってみたい」と思いました。そして1965年、初めてヨーロッパに一人旅を敢行し、働いている事務所を訪ねたのですが残念ながらル・コルビュジェはその年の夏に亡くなっていました。―その後、フランスの文化に大きな影響を受けたのですね。1968年、2度目にフランスに訪れた際は、5月革命真っ只中。私は親交のあった「GUTAI(具体美術協会)」芸術家のメンバーとパリにいました。自由の為に闘っていたのは、主にインテリゲンチア(知識階級)の人たちです。この国では、Photo by Yuji ONO挑戦し続けた建築家ル・コルビュジェとの出会い25

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