KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2021年7月号
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…子どものころから絵を描くことが好きだったのですか?私は一人娘で、いろいろ習い事をさせてもらったけれど、続いたのは絵画教室だけ。「本当にやりたいのならきっちり習ったほうがいい」と母が先生を見つけてきて、中学2年生の時から本格的な教室に通い始めました。その後長いお付き合いになるこの先生がいなければ、今の私はないと思っています。…そして芸大に進んだのですね。ファッションデザイナーを目指して専門学校に進みたかったけれど、「大学に行って勉強するのはどう?」という母の助言もあって芸大へ。就職先が限られる中、イッセイミヤケや君島一郎のプレタポルテを扱っている繊維メーカー会社を見つけて「ここだ!」と入社しました。すると、いきなりデザインの仕事を任せてもらえて、糸やテキスタイルのことは全く分からない私は、現場へ行って職人さんにしつこく質問。若いお姉ちゃんでしょう、初めは白い目。でも、モノを作るとなると妥協できずに追求する真剣さが伝わったのか…認められるようになったら楽しくて、仕事をして一人で生きていくと決めていました。…ところが結婚。家事をこなし、2人のお嬢さんを育て、バリバリ仕事もこなしているひとみさん。どうやって両立させてきたのですか?ご主人の理解があったのでしょうね。とんでもない!「お互い仕事をして帰る家が同じ。そんな関係でいよう」という言葉に騙されて?結婚したら全然話が違う。私が「東京出張」と言うと、「僕のご飯はどうするの?」って︵笑︶。当時は、女性が仕事を75

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