KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2021年7月号
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戸まつり」が、暑さ問題で元の5月開催に戻ったこともあって「海の日に何かお祭りをしなければと。どうせなら『港と海に感謝の気持ちを捧げる祭』を起こそう」と、急遽「海のまつり実行委員会」が立ち上がったんです。当時の理事長の「JC全体で取り組む祭りにしたい」という思いから、広報委員は広報担当、総務委員は経理担当と全委員会に担当を割り振ったから、みんな自分たちの事業がありながらで大変。調整はとして10年近く。1回目の時に「何十年と続いて子どもができたら一緒に来られたらいいな」と夢をみていましたから、それが叶って嬉しかったです。ゆっくり見られるようになったのは、OBになって自分のタイミングで行けるようになってからですね。宗元 何も無いところから始めるのは、大変でしたよね。佐藤 当時は「みなとまつり」という名前すら無く、全てが白紙状態。夏に開催していた「神当委員会がするのですけど、まだ私も30歳で若輩者でしたから、各委員会にも当委員会メンバーにも気も遣いました。 主管はJCですが、いずれは「市民のまつり」としてひとり立ちしてくれればという想いと、兵庫県港運協会や神戸港振興協会の周年イベントが合わさる形で開催できるようになったんです。在神の諸団体様にもお声がけして進めたので、ずっと何かしらの会議をしていましたね。今みたいにペーパーレスではないから、膨大な資料を何度も作って、間に合わないから印刷しながら配りながら行ったりと休む暇がないほどの毎日を過ごしていましたが、なんとか「Kobe Love Port・みなとまつり2002」として3日間、当初は全く予想もしていなかった規模で開催できたのです。 終わってから数年、抜け殻みたいでJC活動にヤル気が出なくて困りました。宗元 当時のJCは、特にパワフルな人が多くて大変だったと聞いていますが、どんな感じだったのでしょうか?2021年第20回みなとまつり まちの魅力発信特別委員会委員長宗元 裕介 ㈲ワイズケア 取締役社長69

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