KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2021年7月号
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のゴダールやフランソワ・トリュフォーらに乗り込まれて、権威的でブリジョア的な賞取り騒ぎだと抗議され、審査員等までボイコット、映画祭が中止になったのもテレビで知った。映画に(感極まる)や(つまらない)はあっても、一等や二等を決めるなんておかしな話だと思っていたボクもそのニュースに「異議なし!」だった。映画監督って何でもやらかすんだ、中学の教師になるより面白そうだが、苦しい仕事なのかな。どんな勉強をしたらいいんだろ、普通に勉強して大学に行くしかないのか。いや、もっと映画を片っ端から吸収するしかないなと自分の未来まで夢想しながら、ボクの胸を打つ、ボクだけの映画を街に探し歩いた。 68年10月の国際反戦デーには、国鉄新宿駅でベトナムの戦場に飛ぶ米軍機のジェット燃料タンク車移送阻止を叫ぶ新左翼学生らの大騒乱が起こり、それもまたテレビで眺めながら心がざわざわした。でも、田舎の少年には新宿は程遠く、代わりに映画が心の飢えを忘れさせてくれた。梅田地下街のビーフカレースタンドよりも映画館の方が大事だった。見逃していた松竹ヌーベルバーグ時代の大島渚が28歳で撮った『太陽の墓場』(60年)や、題名からして凄い『白昼の通り魔』(66年)とか、ポール・ニューマンが薄生地のスーツに黒いニットタイを締めたいかにもヤンキーな探偵に扮し、パームツリーが並ぶロサンゼルスを駆ける『動く標的』(66年)も見た。担任の先生から、今の中国の文化大革命で10代の学生らによる紅衛兵という集団が、若者が口紅をつけてジーパンを履いてるだけで糾弾して、虐殺と内乱が続いていると聞かされても驚かず、こっちは、リチャード・バートン主演の『荒鷲の要塞』(68年)という第二次世界大戦下の英軍とナチスの戦争スパイアクション大作に心を躍らせ、『あの胸にもういちど』(68年)のアラン・ドロンと恋に落ちるフランスの女子の肢体に心を奪われ、『ローズマリーの赤ちゃん』(69年)では主人公の女が宿した悪魔の子を初めて見るよりも隣の住人たちの顔の方がずっと怖かったりと映画の虚構にどっぷり浸っていた。篠田正浩監督の『心中天網島』(69年)は近松の人形浄瑠璃が原作で、時折、場面に黒子たちが現れて、治兵衛が遊女小春と首を吊るのを横から手伝ってやるポップな演出が、封建社会を笑っていた。もう映画は何でもありだな。何でも突然に始まり、突然に物語は閉じるんだと思い知った。そして、作り手も古い世界に抗っていたのだ。今月の映画白昼の通り魔(1966年)荒鷲の要塞(1968年)ローズマリーの赤ちゃん(1969年)心中天網島(1969年)51

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