KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2021年7月号
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は下準備の段階で終ってしまったことが僕としては残念であったが、兵庫県立美術館で、神戸ビエンナーレの一環として出原さんが「日本原景旅行」展をキュレーションして、久し振りでまた仕事が出来たことは嬉しかった。美術館の正式名は「横尾忠則現代美術館」に決定して、館長は兵庫県立美術館の館長の蓑豊さんが兼任されることになった。蓑さんとは蓑さんが金沢21世紀美術館の館長時代に知り合って、ここで僕の個展を決定したあとニューヨークのサザビーズに移ってしまった知って、心強かったが、目に見えて進行し始めたのは2009~10年頃だった。すでにスタートして3、4年が経っていた。建物が決まり次第、すぐ開館すると思っていたが、現実化するためには様々な要望が必要で、出原さんは美術館に必要な備品をリスト化したり、その予算を組み込んでもらうとか、とにかくそう簡単に実現するものではなかったようだ。そうしたことが一切見えない僕は、なんでこんなに時間がかかるんだろうと時にはやきもきすることがあったが、最近になって出原さんから、当時の進行過程を聞いて、本当に大変だったことがわかった。その進行過程の全てを僕がもし知ったら、大いに気に病んだと思う。美術館の開館と同時に長いつき合いの気心の知れた出原さんが学芸員として関わってもらえると思っていたが、結局瀬戸内寂聴さん筆者、横尾泰江、蓑館長20

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