KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2021年6月号
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―神戸にお住まいになって、どのくらいですか。10年です。僕は浜松の出で、赤点だらけで高校卒業と同時に上京して、ずっと東京放浪暮らしでね。神戸には、阪神・淡路大震災の前からたびたび来ていて、印象がよかったんです。新開地復興のためのアートイベントに呼んでもらって。それは、おもしろかったですよ(笑)。野外で音楽をかけながらライブペイントをしていたら、お酒を飲んだおじさんたちがどんどん周りを取り囲んできて論評をはじめるわけ。「あんたの絵にはね、センスのひとかけらもありません」とか、「あんたの絵はめちゃくちゃいい。10円おくれ。天皇陛下に電話して、見にくるように言うから」とか(笑)。痛快でしょ。別に新開地じゃなくて東京の銀座でも、九州でも、野外で描くとなると僕の絵を見たくない人も見るわけで、それがスリリングでね、み“アカデルミック”こそ、スズキコージ流。んな正直に言ってくれるから楽しい。―描く環境にはとらわれず、楽しく描くのがコージさん流なのですね。絵本もさんざん描いてはいますけど、道路でもどこでもキャンパスさえあれば絵を描いてた、ってのがはじまりでね。絵の学校を出たわけでもないから、「僕の絵はアカデミックじゃなくて、アカデルミックだ!」って言ってるんです。自然に体のなかから湧き出てくるものっていう意味。僕の尊敬する画家の山下清さんは、花火大会のためだけに東京から新潟まで線路沿いをひたすら歩いてね、素晴らしい花火の貼り絵作品を残されている。人間ってね、そんな風に好きな道を辿ってさえいけば苦しくなんかない。どこまでも歩いていけるって、僕はそう信じて、実行していますから。絵があるから、何も怖いと思わなかった。―小さいころから絵を描くことがお好きだったんですか。うん、僕はもう70年くらいずっと絵を描いてるからね。以前、生番組で訊かれたときに、僕は母親から出てくるときから胎盤に絵を描いてましたって答えて、母親に「あんたはもう恥ずかしいこと言って!」って責められた(笑)。3歳ころはクレヨンのにおいが好きで、両鼻の穴につっこんだまま寝ちゃったり(笑)。―高校時代も随分ユニークに過ごされたとか。 “スズキコージ・パリ帰国展”なんてのを学校の廊下で突然おっぱじめたりしてね。僕はその頃、押し入れを自室にして、人工衛星のコックピットみたいなのを作って暮らしてたの。だから、「そこからパリに飛び立ったんだ!」なんてうそぶいてましたね(笑)。わけのわからない言語をクラスで流行らせたり、お面つけて裸足で学校行ったりしてました。29

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