KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2021年5月号
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時代からアメリカ映画の「ターザン」を熱愛して、日本に輸入される「ターザン」映画の全てを観て育った戦前、戦中、戦後の昭和時代の少年であった。戦後は南洋一郎の密林冒険小説に熱中になった。と同時に僕の生まれた年に初めて登場した江戸川乱歩の「少年探偵団」にも夢中になった記憶は大人になっても変わることがなく、むしろ年齢を重ねるにしたがって、少年時代のノスタルジーに溺れていった。そして当然のように、冒険と怪奇ロマンがいつの間にか、僕の作品の主題になりつつあった。このテーマはどう考えても現代美術が指向するテーマではない。正に反美術的というかサブカルチャー的である。そんなサブカルチャーを「LOW」と呼び、純粋美術を「HIGHT」と呼ぶ風神戸で始まって 神戸で終る ⑯目白押しに集中し始めたが、2008年に再び神戸で2度目の個展が開催されることになった。新しく出来た兵庫県立美術館での個展「冒険王」の開催である。この「冒険王」展は、世田谷美術館の酒井忠康館長の発案で、以前酒井館長が神奈川県立近代美術館長時代に行われた僕の個展時に、次は「冒険」を主題にしたもっと本格的な個展をしたいとおっしゃっていたが、世田谷美術館に移られて、ここで、その計画が実現したのである。酒井館長の長年の構想により兵庫県立美術館への巡回が決まった。「冒険王」展というネーミングは酒井館長の命名で、僕の少年時代の「血湧き肉躍る」冒険心をいやが上にも掻き立てられた。昭和11年生まれの僕は幼児王子動物園と道路を挟んだ所に兵庫県立近代美術館があった。日本で最初の近代美術館は神奈川県立近代美術館で、次いで二番目が兵庫県立近代美術館であった。この美術館の設計は、日本建築学会会長を務めた村野藤吾による歴史的建造物でもある。しかし近年、各地に美術館建造ラッシュが起こり、兵庫県にももっと大きい美術館が必要になって、海岸に面した中央区脇浜海岸通に安藤忠雄デザインによる新美術館、兵庫県立美術館が設立されることになった。この美術館がオープンしたのは2002年で、現在は神戸の新名所のひとつになっている。1997年に兵庫県立近代美術館での個展のあと、全国各地での美術館での個展がTadanori Yokoo美術家横尾 忠則撮影 筆者18

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