KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2021年4月号
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─松田さんにも、自信がない時があったんですね。仕事を始めて40年になりますが、毎回困ってます。でも思うんです。21歳のあの日、私はなぜあんなに強く絵本という切符を握りしめたのか…。それは間違いなく、私に「自信がなかったから」です。もし困ってなかったら、自分にとってそれが必要なものだと気づかなかったと思う。以来「自信がないのは、私の才能」だと思うことにしました。自信がないからこそ考える。探す。探すから見つかる。その繰り返しです。もう一度、初心に戻って。─東京から神戸に移住されたのはなぜですか。理由の一つですが、初心に戻りたいと思ったんです。正直言うと、今の絵本の動向に私は危機感を感じている。いきなり何十万部という話題本が出る。マスコミがそれを煽る…。今、世界を覆いつくしている最も強い力たからです。人の心の真ん中に何か大切なものを届けに行くとき、こんな素晴らしい〝乗りもの〟があったんだ…って、気づいたんです。─そこから絵本の世界に魅かれていくんですね。しかも同じ時期に宮沢賢治に出会った。ある時先輩が「読んだからやるわ」って私の前に『銀河鉄道の夜』の文庫本を置いていったんです。読み終えて外に出た時、世界が全く違って見えた。「葉っぱって一枚一枚ついてるんだ…」そんなあたりまえのことがくっきりと見えた。自信がない時ってそんなことも見えなくなってるんです。あれは、自分にとっては読書体験と言うよりまさに「事件」と言った方がいい出来事でした。「自信がない」という力─編集者になったきっかけは。こんな仕事をしていますが、実は子どもの頃、私たちがいま「絵本」と呼んでいるものを見たことがなかったんです。小さな田舎町で育ったので、歩いて行けるところには本屋も図書館もなくて。初めて見たのは21歳です。帰省の電車の中で読む本を忘れて、駅近くの本屋さんに入った。ところが目指す文庫本が一冊もない。焦って目の前にある本を思わず買った。これが私の運命の分かれ道でした。後からわかるんですが、そこは、出来たばかりの子どもの本の専門店だったんです。─どんな本だったのですか。『はせがわくんきらいや』という絵本。内容もですが、作者が私と同じ年だったのも衝撃でした。絵本を「子どもの」本と呼ぶことに少し抵抗があるのは、私が絵本とそういう出会い方をし『はせがわくんきらいや』長谷川集平/作 すばる書房 1976年(現在は復刊ドットコム)35

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