KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2021年4月号
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た。高校生になって…親和女子高校軽音楽部だったんですけれど、そこでオリジナル曲のみを演奏する本格的なバンドを結成して、学校の文化祭で初披露しました。あの時、教室いっぱいの拍手をもらって、拍手の中、「私、これやってていいんだ!私、生きてていいんだ!」って思えたんです。自分の価値をあまり感じずにいたけれど、拍手が自分であることの証明書に思えて嬉しかったことを覚えています。あれからずっと作り続けて、奏で続けて、32年たっちゃいました。―その経験が、高校時代ボーカルと曲作りを務めていたバンド「ワイプアウト」につながるんですね。音楽という“宝石”との出会い―音楽が好き、と思ったのはいつですか?隣のお家から聴こえる足踏みオルガンが、私の「音」との出会いです。ある日、隣のお姉ちゃんが、家具のように見えるオルガンの白黒の“歯”を押させてくれて、その瞬間「何だこれは!」ってすごく感動して。たぶんそこから、私の音楽の道は始まったと思います。その後、ピアノを買ってもらい、曲作りを始めました。お人形遊びの感覚…(笑)。お人形に語り掛けたり、洋服を着せ替えたり…。それをメロディにするわけです。楽しくなって歌っていると父から「うるさい!」と言われ、私はよく舞台を須磨海岸に移して大声で歌いました(笑)。―当時好きだったアーティストは?兄が聴いていた『カーペンターズ』。小学生の頃、二人でカバーしていました。兄はギター、私はピアノ。カーペンターズも兄と妹ですから一緒です。どの曲も好きですが、『SING』はハモりながらよく歌いました。―音楽を知ると同時に“作る”楽しみも知ったということですね。“奏でる”楽しみも?それはちょっと後のことです。私にとっての“奏でる”は鍵盤楽器。中学3年のときフォークバンドで初めて人前で演奏しまし平松愛理さんの音楽活動は神戸からはじまりました。「阪神・淡路大震災復興ライブ 1.17 KOBE MEETING」では25年間、神戸を応援。思うように里帰りができない現在もYouTubeを使って歌と言葉を届け続けています。久しぶりの大阪ライブは優しい歌声の中に「一緒に生きていこう!」という力強いメッセージを感じる時間でした。リモートにてお話をお聞きしました。31

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